脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「好きなことを仕事にしてるんだから、薄給でも幸せ」という考えがみんなを不幸にする

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名探偵コナン」などの背景画を手がけるアニメ制作会社を相手取り、社員3人が不払いの残業代や慰謝料を求めて裁判中というニュースが話題になっている(東京新聞)。訴えを起こした社員の証言によると、制作会社は残業代の支払いを求めた社員に対して、「アニメ業界に残業代という考え方はない」と言ったそうである。おそろしい話だ。

 

アニメ業界が、低賃金にもかかわらず信じられないような長時間労働を強いられる過酷な職場であるということは有名だ。収益モデルがほとんどDVDの販売のみに依存しているとか、労働単価の安い海外への依存度が高まっているとか、制作費中抜きがあまりにも法外であるとか、現場が過酷な労働環境に追い込まれる理由は複数考えられる。これが原因の根幹だ、と指摘することはちょっと難しい。ただ、このような過酷な状況にアニメ業界の人が追い込まれてしまう原因の一つとして、「好きなことを仕事にできているんだから、たとえ薄給であっても幸せだ」という考え方があるんじゃないかと僕は思う。実際、アニメーターの過酷な労働環境や給与をそのまま他の業界に持って行ったら、働き手がいなくて成り立たなくなることは容易に想像できる。それでもアニメ業界には労働の担い手がいるということは、「好きだからやってる」という考え方が多少なりともあるはずだ。

 

この「好きなことを仕事にできているんだから、たとえ薄給であっても幸せだ」という考え方は、結果的にみんなを不幸にすると僕は思う。そもそも、仕事をして給料がもらえる根源的な理由は、その仕事を通して自分が経済的価値を生み出しているからにほかならない。どんなに仕事が苦しくて辛いものでも、生み出した経済的価値が少なければそれだけの給料しかもらえないし、逆に、どんなに仕事が楽で、ほとんど遊んでいるのと変わらないと労働者が思ったとしても、大きな経済的価値を生み出したのであればそれに見合うだけの給料をもらう権利がある。給料は、理不尽なことに耐えた我慢料ではない。好きだから、安い給料でもいいということは全然ない。

 

このような考え方に基づいて、正当な対価以下の値段で自分の労働を売る人が出てくると、困ってしまうのは自分の労働に対して正当な対価をもらいたいと思っていた人だ。他に低い報酬でやってくれる人がいるのに、わざわざ高い報酬を要求する人に仕事を依頼する人はいないから、安売りしたいと思っていない人まで労働の安売りをせざるを得なくなる。結果的に全員が疲弊する。今のアニメ業界では、これと近いことが起こっていると僕は思う。

 

「こんなに楽しいことをさせてもらって、さらにお金をもらうなんて申し訳ない」と思う人がいるのかもしれないが、いったい何に申し訳ないのだろうか。苦しくて辛ければお金が稼げるというわけではない。どんな気持ちで働いていようとも、生み出した価値に相当する対価は堂々と請求して問題ないはずだ。そこに後ろめたさを感じる必要なんて全然ない。それがプロフェッショナルの正しい姿勢ではないかと思う。

 

もちろん、諸悪の根源は、このような考え方をする人たちに甘えて、およそ適正とは思えない低賃金でアニメーターを酷使する使用者側にある。労働者の謙虚な考え方につけこむのは卑怯である。このようなやり方を続ける以上、日本のアニメ産業の未来は暗いと言わざるをえない。

 

アニメ業界では、今回のように労働問題が司法の場に持ち込まれることはほとんどなかったそうである。この件に続いて、アニメ業界でも堂々と権利を主張する人が増えて欲しいと思う。

 

労働の正当な対価を要求する、それだけのことすら簡単にできないのはどう考えてもおかしいと言わざるをえない。

 

アニメビジネスがわかる

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