脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

やる気がない時は、抵抗せずにそれを受け入れよう

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人間、生きていれば、やる気がなくなることもある。

 

きっかけがはっきりしている場合もあるし、なんだかよくわからないけど気持ちが萎えてしまうこともある。勉強でも、仕事でも、常にアクセルを踏みっぱなしの状態で進むことができる人は稀だ。なんだかやる気が出なくなって、今まで積み上げてきたものを放り投げたくなってしまったという経験は、誰にもあるんじゃないかと思う。

 

やる気がなくなってしまった時は、どうするのが一番いいのだろうか。僕がもっともうまいと思う対処法は、「一切抵抗しないで、無気力状態を受け入れる」という方法だ。

 

僕も、やる気がなくなって萎え萎えになってしまうことは昔から結構あったが、そのたびに、抵抗するのではなく、「あぁ、この時期がやってきたな。のんびり過ごそう」と思うようにしてやり過ごしてきた。僕の経験では、やる気が無いのにやる気を無理に出そうとすると、逆にスランプが長引いたりする。やらなければいけないのに、やれないという自分に対する嫌悪感が強くなって、自分を責めてしまい前に進むことが難しくなる。その結果、さらにやる気は減退する。悪循環に陥ってしまうのだ。

 

僕は「どくとるマンボウ」シリーズで有名な北杜夫さんの本が好きでよく読んでいたのだけど、北さんのエッセイにはよくこんなことが書いてあった(北さんは『楡家の人びと』を書き上げたあたりから躁うつ病を患っていたが、これをエッセイなどでユーモラスに書くことで、躁うつ病ののマイナスイメージ緩和に大きく貢献したと言われている)。

 

 うつ病で一番恐いのは自殺だ。しかし、躁うつ病は循環するもので、時期がくれば必ず治る。私は自分がうつ病のときは「虫の冬眠」と称して、「必ず治るものだ」と信じてグータラしていた。食事も一日一回だけ。夜の七時まで寝ていた。それがよかったようだ。
『パパは楽しい躁うつ病』(北杜夫斎藤由香)まえがきより

 

やる気が出ない状態というのも、基本的にはこれと同じ対処法がよいと僕は考えている。やる気がある状態がいつまでも続かないのと同様に、やる気がない状態もいつまでも続くわけではない。抗うのではなく、その状況を受け入れ、またいずれやる気が舞い戻ってくると信じて、のんびり過ごすのがもっとも無理がないのではないか。人間は機械じゃないのだから、気分の浮き沈みは当然あるだろう。そういう風に自分を客観視することが大切だ(いわゆる、メタ認知というやつである)。

 

そういう意味では、会社員が強要されている週に5日間、規則正しく会社に通うというのは結構辛い。個人的には、有給休暇に加えて、やる気が無いときの「無気力休暇」が認められてもいいんではないかと思っている。無気力は本人の怠惰のせいだ、と考えるよりも、無気力も風邪とか怪我の一種だと考えて、ある程度最初から計算して織り込んでおいたほうが、みんな楽な気持ちで仕事ができるんじゃないだろうか。

 

日本社会は、やる気がないという人に対して必要以上に厳しすぎる。やる気がなくなるというのは、言ってみれば生理現象のようなものだ。これを責めてもしょうがない。むしろ、こういう状態とうまく付き合っていく方法をみんなで模索したほうがよいと思う。

 

自分にせよ、他人にせよ、やる気がないという状態にある人を責めてはいけない。そのうち元に戻ると信じて、それを受け入れればいいのである。

 

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余談だけど、北杜夫の本で僕が一番おすすめなのはこの『どくとるマンボウ青春期』だ。僕はこの本を、ボロボロになるまで何十回も読んでいる。読んだことが無い人にはぜひともオススメしたい。

 

どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

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