僕がまだ大学2年生ぐらいの頃、サークルの飲み会に、既に就職したサークルのOBがやってきて、こんなアドバイスをしてきたことがある。
「社会人になったら、もう大学生みたいには遊べない。今のうちに思いっきり遊んでおいたほうがいいよ」
当時は「そんなものか」とあまり深く考えることがなかったが、今はこのようなアドバイス自体にかなりの抵抗がある。
この手のアドバイスをする人はかなり多い。就職が決まった大学4年生が、大がかりな卒業旅行を計画するのも、「もう、こんなに思いっきり遊べるのは、これで最後だから」という考えが裏にあるように感じられる。これは、ものすごく後ろ向きで、悲しい考えだと僕は思う。
果たして、「就職したらもう二度と大学生のように遊べない」というのは事実なんだろうか。確かに、終身雇用の会社に就職して、定年までずっと勤めるのであれば、もう二度と大学生のように長期間旅行に行ったりすることはできないということになるのかもしれない。でも、それでホントにいいんだろうか。そんな簡単に、思いっきり自分のやりたいことをやるという機会を、人生から手放してしまっていいんだろうか。
確かに、今の社会では、経歴に空白があると就職が不利だという話もあって、「来年はちょっと世界一周に行こうと思います」といったような思い切った行動が取りづらい。刑務所とサラリーマンを比較したコピペで、サラリーマンは就職すると自動的に懲役40年、と書かれているのも、こういうことを考えると冗談でも何でもないと思ってしまう。
日本は、キャリアの空白に対して、必要以上に不寛容だ。会社に対して人生を捧げられない人間はいらない、という乱暴な考え方で社会が回っている。「人生の目的は仕事を通じて実現する」という価値観が絶対的で、それ以外は認められないという社会のあり方には、僕は大きな抵抗を感じずにはいられない。
研究者の世界では、サバティカル休暇というものがある。これはある程度長い期間務めると付与される休暇のことで、1年ぐらいの期間付与されることも少なくない。基本的に使途は自由で、何をやってもよい。研究者の場合は、他の大学の研究室を訪問したり、執筆活動をするのに使われているようである。これは、研究者以外にも広く導入されて然るべきだと僕は考えているのだが、欧米はともかく、日本でこれを導入しようとしている企業はほとんどない。せいぜい、長期勤続者には1週間程度のリフレッシュ休暇が与えられる、というのが限界だ。
長期的に仕事を離れて他のことをやることは、仕事にも正のフィードバックを与えると僕は思うのだが、そういう意見は基本的には無視される。悲しいことに、学生が終わると次に長期間自分のために時間を使えるのは定年後だというのが、今の日本社会である。
「学生のうちに遊んでおけ」という言葉の裏には、このような大きな悲しみと、社会に対する諦めが内在している。こういう言葉を、「当たり前で、そういうものだ」と受け入れない心は常に持っている必要がある。こんな悲しい言葉を、誰も使わなくて良い社会を僕たちは目指して行かなければならない。

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