脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

完成のない「無限クオリティ」の仕事とどう向き合うか

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世の中には色んな仕事があるが、その中には仕事の完成がはっきりしているものと、そうでないものとがある。

 

例えば、「折り鶴を千羽作る」という仕事であれば(本当にそんな仕事があるのか、という話は置いておいて)、千羽という仕事の完成がはっきりしており、どこまで行けば終わりかというのは誰の目にも見ても明らかである。一方で、「新しい商品のロゴを作る」というような仕事だと、どこまで作りこめば仕事が完成になるのか、というのは、いまいちはっきりしない。このような、仕事の完成がはっきりせずに、どこまででもクオリティを上げ続けることができる終わりのない仕事のことを、僕は「無限クオリティ」の仕事と呼んでいる。

 

この「無限クオリティ」の仕事は、デザイナーなどクリエイター系の仕事に多いが、例えばプレゼン資料を作るといったような仕事であっても、どこまで作りこめばいいかという問題は生じるので、こういう仕事は割と広く存在している。適当なところで割り切って切り上げられる人ならいいが、極限まで時間を使って作りこんでしまう人だと、それが「働き過ぎ」に直結してしまうおそれがある。

 

確かに、「神は細部に宿る」ともいうし、一切の妥協なく、徹底的にクオリティを追求したエンターテイメント作品や芸術作品に僕たちは強く心を打たれるので、仕事のクオリティを限界まで高めようとする人は尊敬の対象ではある。しかし、全員が全員、無限クオリティの仕事に極限まで魂を注げるわけでは無いし、注ぐ必要もないと思う。仕事は労働力を提供して対価をもらうことなのだから、対価に見合わないところまで労働力を提供しなければ批難されるような仕事のあり方はおかしい。完成のない「無限クオリティ」の仕事との向き合い方は、よく考える必要がある。

 

これに対するひとつの解は、取り組む時間を決めることだと僕は思っている。もっと具体的に言うと、業務時間が終わったら、もうその仕事は切り上げる、ということだ。細部のクオリティを上げるために時間を使い出すと、すぐに終電の時間になり、酷い場合は休日も仕事をやってしまったりして、あなたの私生活まで仕事に侵食されることになる。趣味としてやってるとか、自分が経営者として仕事をしているような場合であれば可能な限りの時間を投入してクオリティを上げ続けるのもよいと思うが、会社に「雇われて」いるのであれば、すり減るまで仕事をする必要はない。

 

また、働き過ぎを防ぐという話以外にも、純粋に仕事のやり方として「やめ時が判断できる」というのは重要なことだと思う。 適度なクオリティで仕事の終了が判断できたほうが、その分こなせる仕事の数は増えるので、生産性は上がることになる。テスト勉強でも、数学だけ完璧に満点が取れるようにするより、各教科適当なところで切り上げて、全教科で合格点が取れるように勉強したほうが志望校に入りやすい。要領がよいと言われる人は、皆仕事のやめどきを適切に判断できている。「やめ時の判断能力」は、重要なので、ついつい仕事をしすぎてしまう人は少し「やめ時」を意識してみてもいいと思う。

 

仕事には、やはりどこかで「割り切り」が必要である。「無限クオリティ 」の仕事とのつきあいかたはよく考えよう。あなたが仕事に投入できるリソースは、限られているということを忘れてはならない。

 

みずしな孝之のほどほど日記 (ドパミンコミックス)

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