脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

就活生よ、成長なんて絶対するな

スポンサーリンク

今日から14新卒の就職活動が解禁ということになり、twitterなどで就職活動に言及している人がちらほら見られる。自分の経験を元に就活生にアドバイスをする人、就活セミナーもとい自己啓発セミナーの宣伝をする人、就活にかこつけて自分の人生観を語る人などなど、様々である。

 

せっかくなので、僕もこのブームにかこつけて、就活生に1つアドバイスをしようと思う。言いたいことは実にシンプルだ。これから就活をする学生には、「成長なんて絶対するな」というアドバイスを送りたい。

 

リクナビマイナビといった就職情報サイトや、世の中の一般的な就活本の価値観では、就職活動は「自分を高め」て「成長」するためのまたとない機会、と捉えられている。企業側の人間は、「成長、成長」とオウムのように繰り返すし、グループワークやグループディスカッションをすれば、意識の高い就活生が「成長」の話をはじめる。以前、マッキンゼーの社員が「就職は成長のためである」とか断言しているのを聞いて、ドン引きしたことがある。就職活動と成長は、必ずセットで語られる運命にあるようだ。

 

このように「就職活動を通して成長しよう」みたいな価値観が就活においては支配的だが、そもそも「成長」という言葉はどうしようもないくらいフワッとしていて、つかみどころがない曖昧なものだ。以前も書いたが、能力を伸ばしたいと思うのであれば、成長なんて曖昧な言葉を使わずに、定量的な指標を設けなければ意味がない。こういう曖昧な言葉を使うと、都合のいいように解釈されるおそれがある。どうしても成長したい、というのだったらまずしっかり「成長」の定義をしよう。話はそれからだ。

 

あえて極端なことを言うと、就活生が就職活動を通して得られたと考えている「成長」の99%は、「企業にとって都合のいい仕事観に染まった」ことと同義であると僕は思う。「社会人基礎力」なる非合理的な奴隷のための知識を身につけ、「やりがい」という非金銭的報酬に金銭的報酬同等の意味を見出すような価値観を刷り込まれ、プライベートよりも仕事を優先するのが絶対、という思想に違和感を覚えなくなる――こういった「洗脳」を「成長」と呼んでいる場合がほとんどである。学生から、立派な社畜の卵に成長した、という意味の成長なのであろう。

 

僕は、就活生のみなさんに、このような形での「成長」はしてほしくないと思っている。就職活動を進めていけば、どこかでこの手の価値観に染まったように偽らざるを得ない場面は出てくるかもしれない。しかし、心の底からそのような考えに染まってしまうようなことは無いようにして欲しい。おそろしいもので、そういう環境に長く身をおいていると、不思議と考え方まで変わってしまうことが結構ある。

 

就職活動を通して、人間が変わってしまうことほど悲しいことはない。「はたらきたくない」と言っていたサークルの先輩が、「仕事を通じて成長する!」などと言い出したら見ていられないぐらい辛いだろう。これから、色んな人があなたを「就活脳」に洗脳しようと近寄ってくるとは思うが、適当に相槌を打ったりして、自分がいま持っている考え方だけは変えないようにして欲しい。

 

そもそも、就活なんて単なる職探しである。「成長」なんて別に持ち出す必要はない。あんまり力まず、ブラック企業だけは避けるよう留意しつつ、適当にやったらよいと思う。

 

就活のバカヤロー (光文社新書)

就活のバカヤロー (光文社新書)