脱社畜ブログ

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「容疑者」=「犯人」ではないという当たり前の話

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誤認逮捕で話題になった遠隔操作ウイルス事件で、真犯人と疑われる男性が逮捕され、またもやこの事件に関する注目が集まっている。

 

遠隔操作ウイルス 都内の30歳男に逮捕状
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130210/k10015420371000.html
遠隔操作事件で男を逮捕 容疑を否認
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130210/k10015423131000.html

 

悲しいことに、日本では容疑者として報道されると、それはもう犯人として報道されたことと同じになってしまう。刑事訴訟法には「無罪推定の原則」というものがあって、被告人は有罪判決が確定するまでは無罪として扱われるはずなのだが、日本のマスコミはそんなことお構いなしで、警察に逮捕された時点で容疑者が否認したとしても犯人であると決めつけ、その人の私生活やら卒業文集やらを好き勝手暴き、お茶の間に報道する。

 

これはいつものやり方で、視聴者の大半はこのような「容疑者」=「犯人」報道を当たり前であるかのように受け入れているのだが、今回はこの逮捕以前に4人誤認逮捕をしているという経緯もあってか、このようなマスコミのやり方にネット上では批判が集まっている。

 

NHK猫カフェで「盗撮」!遠隔操作犯逮捕の報道でマスコミへ批判集まる
http://matome.naver.jp/odai/2136047201536193401

 

「容疑者」=「犯人」と決めつける報道にはこのように批判が集まってしかるべきだと思うのだが、ではなぜ、今まで日本では「容疑者」=「犯人」と決めつけてしまう報道が、当たり前のように受け入れられてきたのだろうか。

 

大きな理由として、容疑者として逮捕された人のほとんどが、後の裁判で実際に有罪判決を受けるからだというものが考えられる。日本の刑事事件の起訴後有罪率は99%だと言われており、「容疑者」=「犯人」として報道しても、その報道が「結果的に」正しくなる確率は非常に高い。

 

実際、容疑者を犯人と決めつける報道も、結果的に本当に犯人だったならばよいと思われている節はある。今回の真犯人と疑われる男性が逮捕された件で、この男性が猫カフェで戯れている姿などを報道するマスコミに対して、「これで本当に犯人じゃなかったらどうするつもりなんだ」という反応をしている人を見たが、逆に言えば、本当に犯人だったなら、このような報道も構わないというふうに受け取れなくもない。

 

このような考え方が、「無罪推定の原則」を形骸化させてしまっていることは言うまでもない。実際、逮捕者の99%は本当に犯人なのかもしれないが、中には1%の無実の人間が混じっているかもしれない。そういう人を、間違って犯人扱いしないように、有罪判決が出るまでは「無罪」として扱いましょう、と憲法刑事訴訟法は定めている。そもそも無罪推定の原則は、たとえ100人の罪人を逃したとしても、1人も冤罪者を出さないようにしよう、という思想に立脚している(百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ)。真犯人が無罪の扱いを受ける機会が増えたとしても、犯人ではない人を犯人と決め付けないようにすることに重きを置いているのだ。マスコミの報道姿勢は、この原則の思想を破壊するものであり、到底賛成することができない。

 

この事件をきっかけに、「容疑者」=「犯人」ではないという当たり前の話を、再確認していただければ幸いである。

 

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