今日は、「会社は誰のものか?」という話について書きたいと思う。これは、会社法上は明確に答えが出ていて、会社は「社員」のものである。ただし、この場合の「社員」というのは「従業員」のことではなく、「株主」のことだ。
実は、会社法上は「社員」とは「株主」のことを指し、会社で働く人は「従業員」という名称で「社員」とは明確に区別されている。日本では、従業員のことを社員と呼んでいるケースが多いが、法律上は会社の構成員ではなく、会社が雇っている人に過ぎないのである。この仕組の下では、例えば会社の業績がよくなって、ものすごく儲かったとしても、それは「社員」=「株主」にしか還元されない。これが不当だとかそういう話ではなく、そもそも株式会社とはそういう仕組みである。
このあたりのことは、株式会社のしくみを勉強すれば当たり前のことなのだが、日本では意図的に混同されているような気がしてならない。従業員こそが会社の持ち主であるかのような主張がしれっとなされることも多く、従業員一人一人が経営者目線を持つことが求められ、みんなで頑張って会社を盛り上げようとか、会社を大きくしようという話が当然であるかのようになされる。法律上、従業員はあくまで雇われであり、献身的なコミットが報われるかどうかについては、何の約束も保証もされていないにもかかわらず、である。
こういう混同も、終身雇用や年功序列といった「日本的雇用」が守られていた時代であれば、まだ理解できなくもない。実際、会社が従業員の面倒を一生見られた時代であれば、従業員は単なる「雇われ」ではなく「組織の一員」であり、会社に対して「自分たちの会社」という意志を持つという気持ちもわかる。しかし、今やこれはもう適わない。長期間に渡っての存続が保証されず、ましてや従業員の面倒を一生見ることなど不可能で、従業員と会社の関係が一時的なものにならざるをえない現代においては、会社と従業員の関係は、法律の原則が示すように雇い主と雇われに戻るしかないと僕は思う。
それでも従業員にオーナーシップをもって仕事に取り組んでもらいたいという場合はありうる。そのような時は、株を渡すべきだと僕は思っている。そうすれば、法律上も「社員」であり、会社の持ち主になる。あるいは、株でなくても、オーナーシップを持つに値するだけの対価はきちんと払うべきだ。そういうことをしないのにもかかわらず、雇われにすぎないような給料で、「経営者目線」と「私生活を犠牲にした献身的なコミット」を求めるのは、はっきり言って都合が良すぎではないだろうか。
とりあえず、今日は会社法では「社員」=「株主」だということだけ、覚えて帰っていただければ幸いである。

- 作者: 岩田規久男
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