脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

都会とマイナーなコミュニティについて

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僕はもともと、地方の出身である。大学は東京に出てきたけれど、生まれてから高校までは、ずっと田舎で生活してきた。今でこそ東京の生活に完全に馴染んで、都会での生活が当たり前になりつつあるが、今までの人生の割合で考えれば、田舎生活のほうがまだ長い。

 

田舎にいたころの生活には結構不満が多かった。地元にいた頃は遊びといえば高校の近くにあったゲームセンターと、カラオケぐらいしかなかった。地元の商店街はほとんどの店のシャッターが降りていて、一言で言うと街に活気がない。本屋に行っても、レンタルビデオ屋に行っても、置いてあるのはテレビが取り上げるような話題作ばかりで、ネットなどで評判を知って読みたいとか見たいとか思ったものにも、簡単には触れられないような環境だった。

 

そんな感じだったので、大学進学をきっかけに東京に出てきた時は、それはもう世界が変わるような感覚を味わったものである。まず、大型書店の存在に驚いた。今では毎週のように三省堂書店とかジュンク堂に通っているのですっかりなれてしまったが、あんなに品揃えのよい本屋の存在を、僕は東京に出てくるまで知らなかった。また、レンタルビデオ屋に関しても、例えば渋谷のTSUTAYAの規模には驚いた。本屋やレンタルビデオ屋に限らず、東京は僕が住んでいた田舎に比べると、とんでもなく便利に思えた。

 

ただ、このような物質的な利便性が、都会の最大の利点だとは僕は思わない。昔だったら、このような「物」や「サービス」が簡単に手に入る、ということは田舎にない都会だけの強みだったのかもしれないけど、現代にはネットがある。Amazonで本を注文すれば、大型書店が無くたって本自体は手に入る。レンタルビデオも、ぽすれんだとかTSUTAYA DISCASとか、便利なサービスがある。都会に住んでいるのと完全に同じようには行かないと思うけど、このような都会の「物質的豊かさ」が、田舎に対する絶対的な利点だとは、今は言えないんじゃないだろうか。

 

そんな中でも、都会が未だに田舎に比べて有利だと僕が思っていることが1つある。それは、「コミュニティ」の形成しやすさだ。特に、マイナーなコミュニティ形成能力に関しては、都会は田舎より圧倒的に優れていると僕は思う。

 

コミュニティ自体は田舎にもある。しかし、田舎には人があまりいない。この場合、形成できるコミュニティはどうしてもメジャーなものに限られる。マイナーな嗜好に関しては、コミュニティを形成できるほど支持者がいない場合が多い。

 

一方で、都会はとにかく人が多い。人が多ければ、そこに存在する嗜好・価値観はそれだけ多様になる。このような状況であれば、多少マイナーであっても、コミュニティを形成できる可能性が高くなる。

 

例えば、僕は田舎にいた頃には、本や映画の趣味がちょっと中央値から外れていて仲間を見つけられずに寂しい思いをしていたのだけど、大学進学で東京にやってきたら、いくらでもこういった話ができる仲間を見つけることができるようになった。これはやはり、都会の最大の利点だろうなと思わずにはいられない。

 

この時点で、「コミュニティ形成自体も、別にネットで可能ではないか?」という反論をする人がいるかもしれない。これは、ある意味ではその通りだ。都会と田舎の物質的豊かさについての格差がネットによって是正されてきたように、都会と田舎のコミュニティ形成の難易度の違いも、ネットによってやはり是正されつつあるという指摘は、一理あると思う。

 

ただ、ネットのコミュニティとリアルのコミュニティとの間には、どうしても超えられない壁がある。大型書店で買った本も、Amazonで買った本も買ってしまえば同じ本だが、人と人のコミュニケーションの取り方は、ネット主体のものと、リアル主体のものとではやはり質的に異なると言わざるを得ない。マイノリティ同士がゆるく繋がるのにネットというツールは非常に優れていると思うけど、これはあくまで「ゆるく」であって、リアルと同じ内容をもったコミュニティの形成は、やはりネットだと難しいと思う。このあたりは説明が難しいのだけど、すごく感覚的なことを言ってしまうと、「空気感」が大きく異なるのである。

 

僕は大学の頃にとにかく働くのが嫌で、就職したくない、就職するぐらいだったら自分で何かスモールビジネスでもしてお金を稼ぎたい、と考えていて、たまたま周りにそういう人たちがチラホラいたので、そういう人たちと同じコミュニティに所属していた。このコミュニティにおける中心的活動は、ビジネスプランを練るとか、起業計画を練るとかそういうものではなかった。ただ、ダラダラと「一緒にいて、同じ空気を共有していた」というのが一番の活動だった。こうやって同じ空気感の中で、「働きたくないんだけど、どうしようか」といって捻り出した答えが「起業」であり、これはネット上のコミュニケーションでは到底再現できなかっただろうと思っている。このような、「空気感」を共有するコミュニケーションは、やはりネット上では難しいんじゃないだろうか。

 

都会と田舎とかいう話に戻ると、このような「マイナーなコミュニティ」による「空気感を共有したコミュニケーション」を実現するには、やはり都会に来るのが手っ取り早いということになりそうな気がしている。もちろん、都会に来たからといってよいコミュニティに所属できるという保証はないし、何より都会は生活コストが高すぎるので必ずしも素晴らしいとは言い切れず、無責任に「都会はいいよ」と見ず知らずの人にすすめるようなことはできないと思う。このエントリも、別にそういう趣旨で書いたものではない。ただ、自分は都会に来たことで結果的に人生が面白い方向に転んだと思っているし、それは思い返せば「都会のマイナーコミュニティ形成機能」のおかげだったのかな、と考えられなくもない。もし、自分の嗜好がマイナーで、仲間を見つける必要があると思っている人がいるのであれば、まずは都会に行ってみるというのも、やり方のひとつだと思う。

 

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