脱社畜ブログ

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市民による通報義務って旧東ドイツか

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生活保護通報」小野市条例案が成立へ 反響1700件
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130325-00000019-asahi-pol

 

このニュースを見て真っ先に思い出したのが、善き人のためのソナタという旧東ドイツを舞台にした映画だ。この映画は非常に素晴らしい映画なので、見たことがないという方にはぜひとも見ることをおすすめしたいのだが、「市民による通報義務」と聞くとこの映画で描写されているような相互監視社会の鬱屈とした空気を想像せずにはいられない。

 

そもそも、「市民による通報」というのは、誰が生活保護受給者であるか周囲の人間が認識しているということが前提になっていると思うのだが、どうやってこれを実現するつもりなのだろうか。表札の横に、生活保護受給マークでも烙印して回るとでもいうのだろうか。とても、民主国家がやることとは思えない。

 

以前にも書いたことがあるがそもそも生活保護について、このように受給者の使途や、不正受給を大きな社会問題であるかのように扱うのは、生活保護という問題の捉え方としては適切ではない。生活保護を受給する資格がある人のうち、実際に受給できている人の割合を表す指標に捕捉率というものがあるが、我が国の捕捉率は高くても20%弱と諸外国に比べて非常に低い(捕捉率は調査方法によって値が結構変動するが、例えばwikipediaにはドイツ64.6%、イギリス47〜90%、フランス91.6%、日本15.3〜18%というデータが載っている)。一方で、不正受給は件数で考えると全体の1.8%、金額ベースでは0.38%と決して多くはない(2010年のもの)。誤解のないように言っておくと、僕は不正受給をそれでいいと言っているわけではない。それよりも優先度高く対応しなければならない問題が、我が国の生活保護行政にはあると言っているのである。

 

生活保護が最低限の生活を保障するセーフティネットであることを考えると、捕捉率20%というのはどう考えても低い。これではもはやセーフティネットとは呼べない。例えばあなたが綱渡りをするとして、誤って落下した場合に5回に1回しかネットに引っかからないぐらいネットが小さいとしたら、どう思うだろうか。一刻も早くネットを広げて、落ちても死なない状態を作らなければならないだろう。そういう危機的な状態にあるにもかかわらず、ズルして綱を渡ろうとしないたったの2%弱の人の処遇について「問題だ、問題だ」と声高に叫んでいるのが今の日本なのである。

 

今回の小野市の条例案は、このような「受給資格があるのに受給できない人」の通報も含んでおり、「監視ではなく見守りの強化」が真の趣旨なのだそうだが、これは苦しい言い訳にしか聞こえない。条例の主目的が捕捉率を押し上げることにあるのなら、使途についての通報規定はそもそも余計であるし、「見守り」を効果的にワークさせるような仕組みもこの条例には組み込まれていない。結局、受給資格者の通報については、条例案に対する批判をかわすためにおまけでつけただけなのではないだろうかと疑ってしまう。

 

本当に捕捉率を上げようと思うのであれば、「市民の通報」なんて効果があやしい、社会主義を彷彿とさせるような手法に頼るのではなく、まずはビラ配布やポスター設置などによる「制度認知」のための広報活動に時間と労力を割くべきである。諸外国ではこのような啓蒙ポスターやビラは一般的であるというのに、我が国では逆に何とか生活保護という制度を知って役所に受給しに来た人を水際で追い返すという残念な対応が取られている。

 

小野市市長は、今回の条例で「生活保護に対する無関心を改め、意識改革を図りたい」というようなことを言っているが、このままでは捕捉率に対する議論がほとんどなされず、使途や不正受給の議論ばかりが盛り上がってしまうという現在の生活保護論争の問題が、さらに加速するだけのように思えてならない。