脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「これは私の仕事ではない」が強く言えない日本の職場

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海外に比べて、日本の職場では「仕事の責任範囲」が非常に曖昧である。誰がどこまで自分の判断で行動してよいかについて、明確なルールが存在している職場はほとんどなく、自分の責任範囲だと思って行動したら「何勝手に決めているんだ」と怒られ、一方で自分で決めてはいけないことだろうと思って相談をしに行ったら「そのぐらい、自分で考えろ」と突っぱねられたり……なんてことは決して少なくないはずだ。

 

自分の職責と関係無さそうな仕事を頼まれた際に、「これは私の仕事ではありません!」と断ると、日本の会社では残念な人として認識される。そもそも「これは自分の仕事ですが、あれは自分の仕事ではありません」と断言できるほど、職分は明確になっていないことが多い。採用の際にも、明確にどんな仕事をするのかということは決めずに就職することになる場合がほとんどだし、入社後に配属を受けても、自分の職責について明確な取り交わしがあることは稀だ。「とにかく、空気を読んでチームの仕事をそれなりにこなす人」が求められるのが日本の職場である。

 

このような、「自分の仕事の範囲」が明確でないことが、付き合い残業のような非効率で足の引っ張り合いでしかない現象を呼んでいるという側面は少なからずあるだろう。ビジネスマナー本には、自分の仕事が終わったからと言って、さっさと帰ってはいけないと書いてある。「何か、お手伝いすることはありませんか?」と声をかけずにさっさと自分だけ帰るような人は、「社会人の常識」が無い人なんだそうだ。しかし、考えてみるとこういうことは「自分の仕事の範囲」が明確でないから起こることであって、「あなたの仕事はここまでです」ということが全員しっかりと決まっていたら、それを終わらせた人がさっさと帰宅するのは社会人の常識がないことでもなんでもなく、極々自然なことだということになる。

 

一般的に、「契約」をする際には、お互いの権利と義務を明らかにする。売買契約だったら、◯◯さんは何時までに△△を引き渡してください、✕✕さんは、何時までにいくらのお金を払ってください、ということが一点の曇りもなく確定する。会社で働くということも間違いなく「契約」の一種であるはずなのだけど、不思議とこの場合はかなり曖昧だ。自分がどんな労務を会社に提供しなければならないのか、といった「義務」の部分の取り決めがかなり曖昧になっており、言ってみれば「空気を読んで、自分の仕事と考えられるものは自分の仕事と認識して働く」というのが現代日本で就職する際に労働者が負うことになる義務の内容だ。

 

こういうわけだから、日本人はどうしても働き過ぎてしまう。どこまでやったら終わりなのかが明確でない以上、「働いている」姿勢を常に見せ続ける以外に自分が義務を果たしていることをアピールする手段はないし、こういうことにみんなが躍起になった結果、職場では果てしない我慢大会が開催されることになる。実に、不毛である。

 

「これは私の仕事でない」と強く言えるということは、冷たいとか無責任だとか、チームワークができない人だとか、そういうことではない。自分の仕事ではないものには「これは私の仕事ではない」という一方で、明確に「自分の仕事」であるものに対しては、責任をもってやり遂げる。そういった、言ってみればプロ意識の裏返しが、「これは私の仕事ではない」という言葉にはこめられていると僕は思う。

 

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