脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

もし明日死ぬとしたら、という問題設定について

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よくある問いかけで、「もしあなたが明日死ぬとしたら、今日何をしますか?」というものがある。

 

この問いかけについて、自分でも色々と考えたことがあるのだけど、これは結構難しい。明日死ぬということは、時間はもう24時間も残されていない。そして、24時間で出来ることは限られている。死ぬ前に食べておきたい食べ物とか、読んでおきたい本とか、見たい映画とか、会っておきたい人とか、行ってみたいところとか、そういうものをせっせと列挙してみたとしても、タイムリミットが明日だとしたら、その中の1割も消化できないだろう。1つだけ確実に言えることは、とりあえず会社には行かないだろうな、ということぐらいだ。

 

自分が死ぬこととか、あるいはもっともっと先の、いずれ人類が終わるだろうことを考えるというのはなかなか意義深いことではある。終わりを意識することで、本当に大切だと自分が思っていることと、自分にとっては取るに足りないことを区別することができる。そういう意味で、この手の思考実験はシンプルだけどなかなか侮れないところがある。スティーブ・ジョブズも、有名なスタンフォード大学の演説の中で、「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」と鏡の前で33年間、自分に問い続けてきた、ということを話していた。

 

この手の「人生の終わり」を考える思考実験は、期限の設定の仕方によってだいぶ意味合いが違ってくる。自分が死ぬのが明日なのか、あるいは1週間後なのか、それとも1ヶ月後なのか、もっと先で1年後なのかによって、やれることも考えることも大きく変化する。

 

「人類の終末」をテーマにした小説を一時期集中的に読んでいたことがあるのだけど、これらの本も期限設定によってだいぶ様子が違う。例えば、新井素子の大傑作である『ひとめあなたに…』で人類に設定された期限は1週間だ。当然、世の中はパニックになる。都市機能が麻痺し、一部の人々は自殺や殺人に走る。そんな中、主人公の女の子は喧嘩した恋人にひと目会うために、徒歩で鎌倉を目指す。

 

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

 

一方で、伊坂幸太郎の『終末のフール』 だと、人類に残された時間は3年間ともっと長い。この本の登場人物は、パニック状態に陥るのではなくて、各々が各々の方法で、静かに終末について考え、日常生活を営んでいる。ボクシングジムに通ったり、子供を産むべきかどうか悩んだりしている。

 

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)

 

僕が最近思っているのは、「5年後に自分の人生が終わるとしたら」ぐらいの問題設定が、多くの人にとっては一番建設的ではなかろうか、ということだ。明日死ぬとか、あるいは1週間後死ぬとかだと、行動はやはりどうしても刹那的にならざるをえない。1週間後死ぬと決まっているのに、勉強をしたりは普通しないだろう。何かやりたいことがあったとしても、それをするために勉強や入念な準備が必要なものについては、諦めるしかなくなる。

 

一方で、5年という期限設定だと、ある程度腰を据えて死ぬまでにやっておこうと思うことに取り組むことができるようになる。もちろん、そんなに長い時間があるわけではないので、無為に過ごしたり、やりたくないことに時間を使ったりはできない。ただ、やりたいけれど能力が足りないというのであれば、その能力を身につけるために時間を使うことだってできる。人によっては、5年間のうちの最初の2年間を勉強に充てるとかもありだろう。

 

また、別な理由で人間が予測できるのはせいぜい5年ぐらいが限界だろう、というのもある。それより先のことは、考えても想定通りは行かないので、5年スパンぐらいで人生を区切って考えるというのは決して悪いやり方ではない。

 

人生の時間を無駄にしているのではと思った時には、とりあえず「5年後に自分の人生が終わるとしても、今やっていることを自分は果たしてやるだろうか」と問うてみるのは結構いいかもしれない。僕は最近、物事をやるべきかやらざるべきか考える時は、この方法を使うようにしている。