脱社畜ブログ

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『経済成長神話の終わり』を読んで

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最近、「成長」についてよく考えている。といっても、僕が最近よく考えている「成長」は、自己啓発的な「成長」のことではなくて、「経済成長」のことだ。

 

僕たちは、当たり前のように経済成長を志向して、それが成し遂げられれば世の中はどんどん豊かになっていく、と考えている。でも、それは本当なのだろうか。むしろ、経済成長をずっと追わなければならないから、必要以上に働かなければならなくなって、それで逆に辛くなっているんじゃないだろうか。本書は、そんなことを考える過程で読んだ本だ。

 

経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望 (講談社現代新書 2148)

経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望 (講談社現代新書 2148)

 

著者のアンドリュー・J・サターは、本書を書くのに3年の月日を費やしたという。前半では、経済成長はどのように測られるのか、経済成長神話はいつ誕生したのか、経済成長は本当に国民の生活を豊かにするのか、といった「経済成長神話」についての考察が行われ、後半では、従来の経済成長型の社会ではない、「減成長による繁栄」についての著者の提言がなされる。

 

本書によると、経済成長神話は、東西冷戦期に共産主義勢力との争いの中で生まれたという。冷戦は既に終結したが、経済成長神話はそのまま残った。そしてアメリカも、日本も、未だに経済成長神話に固執している。このままで大丈夫か?という筆者の問題提起には、僕も強く共感する。

 

一方で、後半部分はやや抽象的な話が多く、「減成長による繁栄」を実際に成し遂げるには、まだまだ議論すべき事項が多いように思える。本書は様々な事例を挙げて「脱成長による繁栄」についてのビジョンを示そうとしているが、「経済成長をずっとしていけないというのは分かった、でもじゃあ具体的にどうすればいい?」という質問をされたら、本書の内容だけで答えるのは難しそうだ。

 

「経済成長」というのは、KPIとしては非常にわかりやすい。GDPという数字を追えばいいからだ。一方で、GDPと幸福の相関については、本書が言うようにかなりあやしいと思う。生活必需品を買うのが精一杯というように、国がまだ貧しい状態だったらGDPと幸福にも相関はあるだろう。しかし、現代の日本はもうそんな状態ではない。ここからさらに国民の生活を豊かにしていくには、別のKPIが必要なのではないか。もっとも、本書の著者はこれでまたGDPとは別のKPIを設定して、それをひたすらに追い求めるという方法では結局同じことだ、ということも書いている。これはとても難しい問題だ。何をもって「幸福」であると感じるかは人それぞれで違う、というのもまた問題を難しくしている。

 

正直、本書を読んで僕は結構モヤモヤとしてしまった。もっとも、これは意味のあるモヤモヤだと思っている。このモヤモヤについて、これからもっと時間をかけて考えていこう。そんな気持ちにさせる一冊だ。