脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「退職」を意識するということ

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先日辞めた会社に就職した時に、最初に決めたことがある。普通、会社に就職する時に決意することと言えば「最低でも3年は勤める」とか「◯◯という役職まで上り詰める」といったような前向きなことだと思うのだけど、僕が決めたことはそれと真逆のことだ。

 

「しんどい、と思った時には躊躇なく辞めよう」

 

そう決めてから、僕は会社で働きはじめた。

 

仕事がハードだという噂は就職する前から聞いていたので、長く勤められるだろうとは最初から思っていなかった。小さい会社の経営側から大きな会社の雇われ社員になって、自分がどれだけまともに働けるかということについても不安があった。だから僕は、最初に退路を用意しようと決めた。就職というのは、基本的にはくじ引きだから、必勝ということはありえない。最初に退路を確認してから戦いをはじめるというのは、戦略としては極めて真っ当だ。

 

「いつでも辞めてやる」と思って働き始めると、不思議なことに意外と長く続く。自分では1年ぐらいだろうと思っていたけれど、結局2年ぐらい働くことができた。「いつでも辞める」と決めると、日々の業務も新鮮に見えてくる。どうせすぐ辞めるかもしれないし、こういうことをやるのも最後かもしれない――そう考えると、多少は仕事に前向きになることもできた。もちろん、全然前向きに取り組めなかったような仕事もたくさんあったのだけど。

 

本当に辞めるかどうかはともかく、こんなふうに「辞めること」を意識して働くということは、結構悪くないんじゃないか、と会社を辞めた後になって思う。はじまりがあれば当然終わりがあるように、どんな人でもいつか会社を辞める日は来る。それはもしかしたら定年を迎える40年後かもしれないし、1ヶ月後かもしれない。確実に言えることは、その日は必ず訪れるということだ。それはちょうど、誰にでも「死」が訪れるというのによく似ている。

 

「死」を意識することで、逆に「生」が明るく見えるという話がある。これと同じ原理で、「退職」を意識することで、「仕事」が少しは明るく見えたりはしないだろうか。まぁ、退職を意識しても酷い仕事は酷いし、劣悪な労働環境は劣悪なままだと思うので、どんな職場でも有効ということは全然ないと思うのだけど、もしかしたら「退職」を意識して楽に働けるようになるというケースはあるのかもしれない。僕がそうであったように。

 

「辞めること」ばかり考えるというのは後ろ向きに見えるかもしれないけれど、そんなことはないと僕は思う。「辞めること」を考えるというのは、前に進むために覚悟を決めるということでもある。むしろ、「辞めること」から変に目を背けると、取り返しのつかないくらいの大怪我をするかもしれない。仕事に満足している人も、満足していない人も、自分が退職する日について考えてみることは、意義があることだと思う。