先日、大学の同級生に『脱社畜の働き方』の出版祝いをしてもらった。卒業してから一度も会っていなかった人も多く、中には結婚して子供までいる人までいたりして、時の流れに思いを馳せずにはいられなかったのだけど、今日書くのは別にそういう内容ではない。
僕の本の内容のせいもあって、会での中心的な話題は「働き方」や「ブラック企業」についてだった。そういう話をする中で、友人の一人(ここでは「K」と呼ぶことにしよう)から学生時代の真っ黒な話を聞いたので、今日はそれについて少し書きたいと思う。
Kは学生時代、某居酒屋チェーンでアルバイトをしていた(もっとも、ここで書く事件がきっかけですぐに辞めてしまったらしい)。最初は研修期間が1ヶ月あるのだけど、おそろしいことにこの最初の1ヶ月は「まだ研修期間なので」ということで、給料は1円足りとも払われることがなかった。
「人を拘束しておきながら1円も払わないとは何事だ」と憤慨したKは、店長に「払われないのであれば労基署に行く」と訴えた。「研修期間なので」の一点張りで給料の支払いを拒否していた店長も、Kの口から「労基署」の言葉が出るなり狼狽し、最終的には未払いだった給料を払うことを承知した。
おそろしいのは、その給料が店長のポケットマネーから支払われたということである。その店長は「研修期間に給料を払わないことは問題だ」と上に報告することができなかった。そういうことが言えない空気に、組織が支配されていたのである。問題を起こすぐらいだったら、身銭を切ってでもことを荒立てずに解決したい――社内での自分の立場を気にした店長は、そういう判断に至ったのだった。
似たような話を、以前ネットでも見かけた。
ロッテリア元店長「ポケットマネーでバイトの給料払った」/ハウス食品:更新20年の契約社員雇い止め
http://ameblo.jp/kirayoshiko/entry-11607310055.html
この手の「ポケットマネーで給料を払う」話は、それほど明るみに出ないだけで実は結構多いのではないだろうか。これが悪どいと思うのは、いざこの事実が明るみになった時に、経営者に以下のような言い訳を許してしまうことだ。
「まさかポケットマネーで払っていたなんて知らなかった。報告が自分のところまで上がってこなかったので気づかなかった。自分が知っていたらこんなことにはさせなかった。極めて遺憾だ。」
もちろん、知っていようといるまいと、自分の組織で不正があったのであれば経営者に責任を取る必要があるのは言うまでもなく、「自分は知らなかった」で許されるわけがない。仮に、自分のところまで報告が上がってこなかったというのであれば、そういう透明性の低い組織を構築してしまったことに対して十分帰責性があると考えることができる。
ただ、こういう「私は知らなかった」という言い逃れは、不正が明るみに出た際には必ずと言っていいほど出てくる。政治家の汚職が問題になれば「秘書が勝手にやった」という非常に苦しい言い訳がされるし、ワタミの渡邉美樹会長は、一連の黒い噂について「私の目の届かない所で理念と反した事実が起きてしまう」と不幸な事件についてはすべて自分の目が届いていなかったことを強調する。何かが起きた際に、「知らなかった」と自分が善意であることを主張するリーダーは非常に多い。
経営者自ら先頭に立って悪事を行うことが許しがたいのは言うまでもないが、組織内の隠蔽体質を放置し、現場の責任者を悪事に駆り立てるほど追い詰めるというのも、同じぐらいか、あるいはそれ以上に許しがたい。
店長自らポケットマネーで給料を払わせざるをえないような組織を作った人間の責任は、非常に重いと言える。

- 作者: 日野瑛太郎
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