会社員時代、最もつらかったことのうちの1つが、毎日毎日同じ時間に起きて、電車に乗って会社まで行くことだった。
満員電車が殺人的な混雑で、精神的のみならず物理的にもしんどいということは言うまでもないが、それ以外にも毎日毎日同じ時間に会社に行かなければならないという「規則正しさ」がどうも自分には合っていなかったように思える。例えば月曜日の夜とかに、ふと寝る前「また明日も、明後日も同じように朝起きないといけないんだよなぁ」と考えてしまってなんとも鬱々した気分になったことを覚えている。
自分の人生を振り返ってみると、どうも「規則正しさ」が苦手なのは、会社に限った話ではないようだ。例えば中学校とか高校の時間割に従った生活は正直なところだいぶ苦痛だった。授業自体は別にそんなに苦痛ではなくて、「自分の気分に関係なく、半強制的に時間に区切られて生活しなければならない」という状況が、どうも窮屈で仕方がなかった。大学生活がものすごく自分に合っているように思えたのは、一応時間割は自分なりに組むものも、講義に出る出ないは結局本人の意思次第だったからだと思う。
もしかしたら「規則正しい生活」は、そうやって規則正しく行う対象がたとえ遊びであっても、結構しんどいものなのかもしれない。仮に毎日朝9時にゲームセンターに集合して夜の5時まで自分の好きなゲームをやる(昼休憩は1時間)、みたいな生活を送れと言われたら、最初は物珍しさで楽しくやっているような気がするけど、どこかで「規則正しさ」につらさを感じて投げ出してしまうのではないかと思う。
一般的に、「規則正しい生活」は健康上も大事だと言われる。たしかに、朝きちんと起きると1日が長く感じられて気分はいいし、夜は早く眠れるので大変よいことなのだとは思う。早寝早起きをすると、セロトニンがたくさん分泌されるとかいう話もある。別に、そういう生活がよくないと言いたいわけではない。ただ、どんなに「規則正しい生活」であっても、時間を守ることのほうが主で、自分はそのタイムテーブルにしたがって動くだけだったとしたら、結構なストレスになるのではないだろうか。時間を支配するのではなくて、時間に支配されてしまっている――そういう生活は、なんだか「忙しい」ようにも感じるし、「生きているというよりかは生かされている」ように思えてしまうと言ったら大袈裟だろうか。
自分の意思で、やりたいことがあって早起きするのと、本当はもっと寝ていたいのに仕事とかそういう事情によって早起きしなければならないのとでは、意味が全然違ってくる。前者の理由で「規則正しい生活」をするのはとてもよいことだと思うけど、後者の理由でする「規則正しい生活」は、乱暴な言い方をすれば軍隊とか囚人とかそういうやり方に近いもので、大きなストレスの原因になるのではないだろうか。
どうせ「規則正しい生活」をするなら、自分の意思で規則正しく生活をしたいものである。

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