以下の記事を読んで。
仕事で言い訳しないことがむしろダメな気がしてきた
この記事に対しては、結構ネガティブな反応が多い。たしかに、沈黙してしまうのはコミュニケーションのやり方として非常にマズいのだけど、僕はこの元記事を書いた人が言い訳しまいとして、沈黙してしまう気持ちもわからないではない。
この記事について「言い訳と説明は違う」とか「言い訳しないことと、報告をしないことは違う」という指摘をする人がいるけど、これは結構微妙な問題だ。「こういう場合は説明・報告で、こういう場合は言い訳だ」という明確な線引きが働く人全員の間で同じように共有されているのであればいいのだろうけど、現実にはそうなっていない。実際、都合の悪い説明・報告はすべて「言い訳」と捉え、そういう報告をすると「言い訳するな!」と一喝するような残念な上司は存在する。こういう上司の下で働いているとしたら、何を言ってもそれは言い訳にされてしまい、結局沈黙する以外に道がなくなってしまう。
一般的には、言い訳は悪いこととされている。しかし、本当にそうなのだろうか。たしかに、なんでもかんでも人のせいにして自己弁護ばかりするというのはあまり褒められたものではない。でもだからと言って、あらゆる言い訳を封印するべきだという考え方には僕は同意しかねる。言い訳であっても、それが事実なのだったら、耳を傾けるべきなのではないだろうか。
例えば、ある仕事を任された人が、それを時間までに完成させられなかったとする。これについて、上司が「おい、どうなってるんだ」と叱責をしたとして、
「そもそも一晩で終わらせるには人が足りませんでした」
のようにいわゆる言い訳をするのと
「すいませんでした、すべて私の責任です。次は気をつけます」
と一切言い訳をせずに謝るのでは、どちらがいいと言えるだろうか。
後者の態度は清々しいので、思わずこちらを支持したくなってしまうが、よく考えてみると後者はただ謝っただけなので情報としては何ら得るものがないということになる。一方で、前者は言い訳こそしているものの、「人が足りなかった」という失敗の原因についての情報を提供している。まあ、人が足りないならもっと早い段階でアラートを上げろよ、というごもっともな指摘はあるにせよ、次のアクションに繋げやすいのは、明確に前者だ。「人が足りない」という主張が事実なら、次回以降は人を増やすことでその仕事が完成する可能性を高めることができるだろう。
もちろん、言い訳の中には全然理由になっていない、自己保身目的の耳を傾けるべきではないものも多くあるだろう。そういう言い訳は、「説明になっていない」と指摘して却下すればいい。言い訳をさせた上で、それはおかしいと言えばいいのだ。「言い訳をするな」と言い訳自体をすべて封じてしまう必要は全然ない。
何か失敗をした際に、他責をしない態度はたしかに立派に見えるけど、本当に原因が自分以外のところにあるのだとしたら、その事実と向き合わなければどうせまた同じ失敗を繰り返す。次に繋げるためにも、有意義な言い訳は排除すべきではない。