脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「大事なこと」と「どうでもいいこと」をどう区別するか

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昨日、「飲み込みが早い人」は何が違うのかという記事を書いたが、今日は少しだけその補足を。

 

昨日の記事では、飲み込みが早い人は「上手に枝葉を捨てられる人」だと書いた。もっとも、「上手に枝葉を捨てる」と言うだけなら簡単だが、実際にそれをやるのは決して簡単ではない。何かを新たに学び始めた人の多くは、最初は何が枝葉で何が幹かわからない。上手に枝葉を捨てるには、前提としてすばやく「大事なこと」と「どうでもいいこと」を区別する必要がある。

 

方法はいくつかあるだろう。すぐに思いつくのは、そのスキルを身につけている人に直接聞くという方法だ。ただ、これは結構微妙なところもあって、人によって何を大事と考えるかにはバラつきがあり、時には初学者が気にしなくてよいことまで「大事だ」と説明されるかもしれない。熟練者の中には、知識をひけらかしたがるタイプの人も決して少なくなく、中にはいたずらに初学者を混乱させるだけの人もいるかもしれない。その道の達人が、必ずしもすばらしい教育者ではないということは、例えば大学の教授なんかを見ていてもよく分かる(もちろん、その道の達人でもあり、すばらしい教育者である先生方も当然おられる。個人的印象では、あまり数は多くないような気がするが)。

 

人に頼らない方法だと、割と有名な方法に、「入門書を複数冊眺めてみる」というものがある。この方法のポイントは「複数冊」というところにある。1冊だけだと、著者の独断であまり重要でないところが重要と説明されているかもしれない。複数冊に目を通して、それら全部で触れられている内容は、おそらく幹だろうと察しがつく。そうやって「大事なこと」と「どうでもいいこと」を区別する。

 

この入門書を複数冊使う方法は割と使えるし自分もよくやるのだけど、この方法で抽出された「幹」が本当に「幹」なのかと言われると、実は結構あやしいところもある。入門書が何かを取り上げる場合、「内容が大事だから取り上げる」場合も当然あるが、「内容がやさしいから取り上げる」ということも決して少なくないからだ。幹の中には、「理解は難しいけど大事なこと」だってあるだろう。逆に、やさしいからどの入門書にも書いてあるけど、実際にはどうでもいいことだってある。だから、入門書に書かれている内容の積集合だけ勉強しておけばいい、とも言い切ることはできない。

 

結局は、熟練者に聞いたり、入門書を複数冊眺めたりしながらも、自分で目的から逆算して何が大事かあたりをつける作業も同時並行で行う必要がある。例えば、新しく楽器を弾けるようになりたいのだとしたら、勉強や練習をしながら「この知識や技術は、あの曲を弾けるようになるために必要か、不要か?」と定期的に自分に問うたほうがいい。この自問をより効果的に行うために、ゴールは具体的であればあるほどいい。漠然と、「ウクレレを弾けるようになりたい」とか「iPhoneアプリを開発できるようになりたい」では全然ダメだ。弾けるようになりたい曲や、作りたいアプリの具体的な仕様まで最初に決めておけば、勉強していく過程で必要なものと不要なものの区別がしやすくなる。

 

何が「大事なこと」で何が「どうでもいいこと」かどうかは、目的があってはじめて決まるものだ。幹と枝葉を区別するために最初にすべきことは、自分のゴールをしっかり定義することではないだろうか。TOIECで990点を取るために「大事なこと」と、英検2級に合格するために「大事なこと」は違うはずだ。そこをはっきりさせないと、迷走が続くことになる。

 

本質を見抜く「考え方」

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あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。

 

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