最近、なんとなく関心が出てきたという理由で教育分野の本を何冊か読んでいるのだけど、この分野の本はある点において非常に面白い。他の分野の本以上に、筆者によって言っていることがバラバラなのだ。主義・主張が論者によって変わるというのは別に教育の話に限ったことではないと思うのだけど、教育の場合はその傾向が特に強く、論者の数だけ教育論があるように思えてくる。
たとえば、いじめ問題ひとつとってみても、「いじめはよくない」というところまでは共通しているが、その対策として提唱される施策は千差万別だ。中には真っ向対立しているようなものもあって(学校に警察を介入させろ・させるな、道徳教育を科目化しろ・するな等)、いわゆる「専門家」の意見を取り入れれば取り入れるほど、何をしたらよいのかよくわからなくなっていく。
教育はおそらく「効果」の判定が非常に難しいのだと思う。影響範囲の大きい問題なので気軽に実験するわけにもいかないだろうし、仮に何か新しいことをはじめても、その効果が検証できるようになるまでには時間がかかる。そもそも、検証自体も難しい。例えば、「ゆとり教育」を成功と考えるべきか失敗と考えるべきかは、教育内容で何を重視すべきかという話と関連するので、白黒はっきりするような話ではない。教育分野は、PDCAがまわりづらい世界だと言える。
それでいて、教育問題は(僕のような)素人でも口を出しやすい。誰もがかつては教育を受けたことがあるので、教育について何か言えと言われれば、自分の経験に基づいてひとつやふたつぐらい何か言いたいことはある。だから論者の数も増える。その結果、世には無数の教育論が跋扈するようになる(このことがいいことか悪いことかはここでは判断しない)。
そういうこともあって、教育関連の本を読むときは、同意できない部分を多く抱えながら読み進めることになる。中には、一冊まるごと全然同意できないこともある。読めば読むほど、もやもやした気持ちは溜まっていく。ただ、それで時間を無駄にしたという気はしない。むしろ、同意できないことが書いてある本を読んだほうが、最初から最後まで全部同意できることが書いてある本を読んだ時よりも、有意義だったような気すらする。
「同意できない」というのは、その裏に「自分の意見」があることを表している。「同意できない理由」を考えると、それだけ「自分の意見」も深まる。「同意もできないが反対もできない」みたいな場合には、自分の意見の弱さもわかる。これは「考えながら読書する」きっかけを与えてくれるという点で、とてもよい。
もちろん、何でもかんでも批判的になればいいわけではない。特に、著者の名前や肩書で内容を読む前からバイアスをかけてしまうのはよくない(ネットの批判にはそういうものが多い)。本を読んで「あいつが言うなら同意できない」みたいな感じにしかならないのであれば、最初から読まないほうがいいだろう。これは逆の場合も言えて(「あの人が書いたことなら同意できる」)、それは結局考えているとは言わない。
どんな分野の本にも言えるが、読書で「バランス」を取ることは大切なことだ。ある著書の本を面白いと感じると、その著者の他の本や、似たような論者の本ばかり手にとってしまいがちになるが、そればかりやっているとバランスが取れなくなってくる。時には、全然違うことを言う人の本も読んでみるといい。立場の違う意見ばかりいくつも読んでいると何を信じればいいのかわからなくなってしまうかもしれないが、そもそも読書は特定の意見を盲目的に信じるためにするものではない。どんな本も、結局は自分で考えるための材料に過ぎないのだ。

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おまけ
以下は本ではなくて映画だが、立場が真逆で面白い。