脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「不公平」という思考は仕事が我慢大会になっているから出てくる

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こちらの記事を読んで。

僕自身はタバコを吸わないし、仕事中に喫煙所に出入りする人を見て特に不公平だと思ったことはない。現在に至るまでいくつかの職場で仕事をしたが、休憩は各自の判断で勝手にとってよいというタイプの職場でしか働いたことがないのでこの手の話の実体験は無いのだが、友人の話なんかを聞いているとどうやらそういう思考を抱く人は少なからずいるらしい。

 

その人たちが仕事において同僚について「不公平」だと思ってしまうのは別にタバコ休憩だけではない。あの人だけ昼休みから帰ってくるのが遅くて不公平だとか、あの人だけいつも残業しないで早く帰って不公平だとか、あの人だけ有給休暇を全部消化していて不公平だとか、そういった「あの人だけXXXで不公平だ」という構文で不公平が表明されることはよくある。興味深いのは、この手の「不公平」という気持ちが発せられるのは、主に同僚という横の関係に対してであり、たとえば経営者と自分の待遇を比べて「不公平だ」という人はあまりいない。別に「経営者は従業員から搾取していい暮らしをしている」なんてステレオタイプ社会主義者めいたことを言うつもりはまったくないが、取扱いの差で言えば経営者と従業員のほうがはるかに大きいはずで、悪い経営者がいたらこういう状況を見てほくそ笑んでいるかもしれない。

 

こういった横の関係に対して「不公平だ」という不満を言う人の話を聞くと、中学生だった頃のことを思い出す。当時、○○君が校則で持ってきてはいけないものを持ってきていますとか、☓☓君が体育の時間の最初の運動をサボってましたとか、そういう告げ口を好んでしている同級生がいた。別に、○○君が校則で持ってきてはいけないものを学校に持ってきていたとしてもその彼が何か不利益を被ることはないし、☓☓君が体育の時間の最初の運動をサボったとしてもやはりその彼自身には何の影響もない。しかし、彼はきっとそういうのを見て「ずるい」と思ったのだろう。自分は校則をしっかり守っているのに○○君だけ「不公平」だ、自分はしっかり最初の運動をしているのに☓☓君だけ「不公平」だという思考法は、会社で同僚に対して「不公平」という感情を抱く人の思考法とほぼ一緒のように思える。「会社は学校じゃない」と昔誰かが言ってたような気がするが、こういう視点で見る限り会社も学校も違いはない。従いたくないルールを押し付けられて、みんなで嫌なことを時間になるまで我慢してやる場所であるという点において。

 

僕は正直、こういう怨嗟の言葉が渦巻いている職場は嫌な職場だと思う。できるならそういうところでは働きたくない。結局、こういうふうに誰かを「不公平だ」と思ってしまうのは、その仕事が自分にとって嫌なものであり、そういう嫌なものを自分は我慢してやっているのにあいつだけズルいという発想からきている。それは仕事が我慢大会になっているということであり、そういう仕事を長期的に続けてもたぶん明るい展望は開けない。

 

もし、「不公平だ」と思う同僚の行動ばかりに目が行ってしまうのだとしたら、問題があるのはきっと同僚ではなく仕事自体なのだと思われる。そういう環境で「不公平だ」という気持ちを撒き散らしても職場の雰囲気が悪くなるだけで抜本的な解決は望めない。それよりも、他人の気持ちが気にならなくなるぐらい主体的に取り組める仕事を探したほうが、幸せになれる確率は高いと思う。

 

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