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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「教育上の配慮」をすればするほど、教育の効果はどんどん下がる

時事ネタ
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松江市教育委員会が市立小中学校に「はだしのゲン」の閲覧制限を課したことが話題になっている。この騒動がきっかけになって「はだしのゲン」の売上は急増、なんでも増刷までかかったようで、最初に「閲覧制限」を言い出した人は今どんな気持ちなんだろうかと想像すると、結構面白い。

 

はだしのゲン」 教育上の配慮をどう考えるか(8月25日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130824-OYT1T01106.htm
はだしのゲン」、アマゾンでベスト10入り 増刷も
http://www.asahi.com/national/update/0824/OSK201308240018.html

 

僕の通っていた小学生では、「はだしのゲン」は図書室にあたりまえのように置いてあった。漫画だということもあり、「はだしのゲン」は読書が嫌いな生徒にも人気で、みんながこぞって読むので本はかなりボロボロになっていた。他にも学習漫画のようなものは置いてあったが、「はだしのゲン」ほどクッキリと内容が心に残っているものは他にはない。それだけ当時の僕に、大きな影響を与えた作品だった。

 

はだしのゲン」は政治的な文脈で語られることが多い漫画だが、そういうふうに読み方を限定してしまうのはすごくもったいない。これについては、評論家の呉智英氏の作品に対する評価がものすごくしっくりくる。

 

はだしのゲン』にみる人の醜さと不条理な衝動 呉智英が語る
http://dot.asahi.com/wa/2013080100015.html

 

小学生の頃、僕が「はだしのゲン」を読んで学んだのは戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさだけではない。上の記事で呉氏が挙げている政二さんのエピソードでは、家族や親戚の関係は決して綺麗事だけで維持されるものではないということを学んだし、戦争に賛成していた大人が戦後にコロッと反戦主義者に転向したことをゲンが目撃するシーンでは、大人の狡さや信用できなさのようなものを学んだ。こういう上から目線の言い方をしては作者の中沢先生に失礼かもしれないが、「はだしのゲン」はこれでもかというほどリアルに人間が描けている。この漫画を読むことは、人間について学ぶことに繋がると言っても大袈裟ではない。

 

今回の騒動では、「教育上の配慮」から閲覧制限が課せられることとなったわけだが、個人的には「教育上の配慮」をすればするほど、教育コンテンツは逆に子供の心に響かないわざとらしいものに成り下がっていくと思っている。例えば、よく道徳の時間に見せられたNHK教育の道徳番組。これはそれこそ徹頭徹尾「教育上の配慮」をしまくって作った作品だと思うのだけど、内容はあまりにもわざとらしく、登場人物に人間らしさがまるでない。小学生はこのような「わざとらしさ」には敏感で、実際にはかなり冷めた目でこの手の番組を見ている。これに教育効果があるのかと考えると、正直疑わしい。「教育上の配慮」というのは、結局は教師や親の自己満足にすぎないのではないかと思う。

 

はだしのゲン」で描かれる内容に、歴史認識的な議論があるのは間違いない。登場人物の話す内容を、小学生がすべて真実だと無批判に思い込んだらマズいのではないか、という意見はたしかにその通りだ。しかし、それは現場の社会科の教師が「これは議論がある内容だ」という旨をきちんと生徒に教えればそれでいいのではないだろうか。今回の閲覧制限の直接的な理由は残虐シーンだが、イデオロギー的な理由でこの作品を図書館から排除しろという人にも、僕はちょっと違うんではないかと言いたい。「とにかく危険なものは隠してしまえ」という一方的なやり方は、正直下策ではないか。教育は洗脳とは違うのだ。隠蔽すればそれでいい、というわけには当然いかない。

 

真に教育上の配慮を考えるのであれば、自由に見せた上で子どもに考えさせるようにするべきだ。大人は子どもが「考える」ためのサポートに回ればよい。最初から考える機会を奪うことを、教育上の配慮と言ってしまうのは正直いかがなものかと思う。

 

はだしのゲン 1

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〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

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