脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

値段が安い店が特にモンスター消費者をひきつける

昨日までで、4/30発売の新刊『はい。作り笑顔ですが、これでも精一杯仕事しています。』にページ数の関係で載せることができなかったコラムの掲載を一通り終えたのですが、そういえば本文でも、ページ数の関係で割愛したものがあることに気が付きました。

 

今回は、その中でも独立して読めそうな部分を、ひとつ抜粋して掲載します。本当は2章に組み込むつもりだったのですが、2章のテーマ「やりがいと裁量」の話とは必ずしも関係がないので、泣く泣く削ったものです。

 

 

新刊は鋭意発売中ですので、ぜひ合わせてお読みいただければと思います!

 

   値段が安い店が特にモンスター消費者をひきつける

 

 モンスター消費者を引きつけてしまいやすい店には、ひとつの特徴があります。

 それは、価格設定が安めであるということです。

 ことわざに「金持ち喧嘩せず」というものがありますが、高級店で消費者が店員と揉めている姿を見ることはまずありません。金銭的な余裕があると心にも余裕が生まれるのか、高級店を利用する客は、店員に対しても柔らかな物腰で接する人が多い印象があります。

 かくして高級店は雰囲気を維持することができ、さらに質の高い客を集めることができるようになります。

 それに対して価格設定が安めの店では、消費者が店員に文句を言っている場面に出くわすことがよくあります。言い返せない店員をつまらないことで詰っている客は、実はそれほど高いお金を払ったわけではないことがほとんどです。

 こういうことを書くと僕が低価格の店を利用する客を不当に蔑んでいるように見えてしまうかもしれませんが、傾向として低価格店のほうがクレームをつける客が多いのは事実です。

 本来であれば、サービスの質が多少は低くても、値段さえ安ければ消費者側も妥協してくれそうなものですが、少なくとも日本ではそういうふうにはなっていません。

 むしろ、価格帯が安い店に来る消費者のほうが、サービスに対する要求水準は高いとすら言えます。

 なぜこのような歪な状態になってしまうのでしょうか?

 思うに、高い価格帯の店を利用する客は、少なくとも「サービスはタダではない」ということを知っています。店側もそういう意識のある客を相手にしているので、必要なサービスを提供するために十分なお金をかけて、余裕を持ってサービスが提供できます。

 その結果、従業員に割りに合わない負担をかけることもなくなるので、接客の質も上がります。「客を選び、お金をかけてサービスの質を上げる」という、ある意味ではあたりまえのやり方によって、サービス提供の好循環が作り出せているのです。

 一方で、低価格帯の店を好んで利用する客の中には、そもそも「サービスにはお金がかかるものだ」という意識がない人が大勢います。この人たちにとって、サービスとは「お金を払わなくても受けられてあたりまえのもの」という位置づけです。

 ゆえに、その「あたりまえのもの」が受けられなかった場合には、店側から損害を与えられたという被害者意識が高まり、激しいクレームへと発展します。

 逆に言えば、このような認識でいる人たちには、どんなに良いサービスを提供しても強く感謝されることはありません。「あってあたりまえ」のものに対して、いちいち感謝することを人はしないからです。

 「誰かに喜んでもらいたい」という思いから接客の仕事を始めた人にとって、このような客は仕事へのモチベーションを削いでいく存在でもあります。

 低価格店ゆえに給料も上がらず、相次ぐクレーム対応に疲弊し、客から感謝もされないことで仕事へのモチベーションも失った店員は、長く店にとどまることをせず、すぐに離職してしまいます。

 このように人の入れ替えが激しい店では、満足な従業員教育も施せません。その結果、接客の質も上がることはなく、ますます接客上のトラブルが増えるという悪循環に陥ります。

 感情労働で働く人を保護するためには、店はある程度の価格を維持することが必須だと言えるでしょう。

 

「お客様は神様です」という言葉の本当の意味

本日も、新刊『はい。作り笑顔ですが、これでも精一杯仕事しています。』にページ数の関係で載せることができなかったコラムを掲載します。

 

 

   コラム:「お客様は神様です」という言葉の本当の意味

 

 商売の世界などでは「お客様は神様です」という言葉が使われることがあります。
 この「お客様は神様です」という言葉ほど、世のモンスター消費者を勘違いさせる言葉はないようで、
「おい!客を何だと思ってるんだ!お客様は神様だって教わらなかったのか?」
 などと店員を詰るのに、便利に使われてしまっている光景をよく見かけます。
 実はこの「お客様は神様です」という言葉は、もともとはまったく違う文脈で使われていたもので、接客業の現場などで使うべきフレーズではありません。モンスター消費者はそのことを理解せずに、どこかで聞いた便利なフレーズを自分に都合よく解釈して使っているだけなのです。

 一番最初に「お客様は神様です」という言葉を使ったのは、浪曲師の三波春夫さんだと言われています。
 1961年にある地方都市の体育館で行われた対談の中で、聴衆のことをどう捉えているかと問われた時に、
「うーむ、お客様は神様だと思いますね」
 と三波さんが答えたのがどうやら初出のようです。
 その後、レツゴー三匹という漫才トリオ三波春夫のモノマネをする際に「お客様は神様です」というフレーズを使うようになり、それで日本中に広がったのですが、今ではこの経緯を正しく理解している人はほとんどいません。
 三波さんの言う「お客様」というは、ステージに立つ三波さんの演技を見ている聴衆・オーディエンスのことです。
 三波さんにとってステージで唄うという行為は神聖なものであり、雑念を払って澄み切った心で完璧な芸を見せなければならない、そのために聴衆を神様と見て唄う――というのが「お客様は神様です」という言葉の真意であり、言うならばこれは芸事の心構えです。
 ところが、「お客様は神様です」というフレーズ自体が持っている印象が強かったためか、気づくと本来の芸事の心構えという文脈は無視され、接客業で働く人の心構えのような形となって定着してしまいました。このことには三波春夫さん自身も困惑していたようで、公式ホームページにはこの誤解について言及した文章が掲載されています(https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html)。

 この本をここまで読んできた方なら、接客業において「お客様は神様です」などという標語を持ち出すことがどれだけ間違ったことか、理解していただけていると思います。
 もっとも、日本では八百万の神といった考え方があり、神様と一口で言っても様々な神様がいます。これだけ神様がたくさんいれば、中にはまったく尊敬に値しない、貧乏神や疫病神のようなはた迷惑な神様も存在します。
 接客業の現場で「お客様は神様だぞ!」と怒鳴り込んでくるような消費者は、神様は神様でもこの手の貧乏神か疫病神の類に違いありません。こういった神様に関わっていると、商売はうまくいきませんし、幸せも逃げていきます。
 この手の神様に遭遇してしまったときには、客扱いはせずに、一刻も早く退店していただくのがスマートな対応だと思います。

 

4日連続でお送りしてきたお蔵入りコラムの掲載も、これでいったん一段落となります。ありがたいことに、早くも拙著を読み終えたという方々からチラホラと感想もいただいています。なかなか新型コロナウイルス以外の話題に興味を持ちづらい状況下ですが、そんな中、僕の本を読んでいただいて前向きな感想をいただけることは著者として大変嬉しく思います。

 

引き続き、発売中ですのでどうぞよろしくおねがいします。