脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「異動させること」自体を目的にした人事異動が日本の生産性を下げている

3月・4月は人事異動の季節である。

 

インターネット業界のような歴史の浅い企業で働いている人にはあまりなじみがないかもしれないが、日系の大企業や公務員などの場合、3月に内示が出されて4月に異動という形でごっそりと人が動くというところは多い。もしかしたら、これを読んでいる人の中にもそういった形の異動によって4月1日から新しい部署に異動するという人もいるかもしれない。

 

学校の入学式なども4月だし、新卒の社員が入社するのも多くの場合は4月である。そういうこともあって、日本人にとって「4月に一斉に異動」というのは見慣れた光景なのかもしれないが、よく考えてみるとこれはかなり非効率な慣習でもある。

 

まず、この慣習は「異動すること」自体が目的になってしてしまっている。本来、人の配置は理由があってするものだが、この手の定期的な人事異動は特に具体的な目的があるわけではなく、「○○さんはそろそろ3年同じ部署で働いたから異動」といったような年数だけに基づいて行われる。だから、チームに必要な人だって時間が経てば強制的に異動の対象になるし、逆に、特にチームへの貢献が期待できないような人が定期的な人事異動の波に乗って異動してくることがある。

 

もちろん、完全に乱数で異動先を決めているわけではない(と思いたい)ので、多少は部署のニーズや本人の希望なども考慮される余地はある。が、一気に大量の人を動かさなければならない以上、すべての人を満足させることは最初から無理だ。特に、個人の希望は蔑ろにされやすい。その結果、「特に理由があるわけではないが、4月からとりあえずあの部署に行ってくれ」と言われる人が大量に発生する。多くの場合、これは働く人のモチベーション低下を招く。

 

また、当然ながら新しい業務を始めるためには、キャッチアップの時間が必要だ。つまり、異動した人は最初のうちはなかなかチームに貢献できない。定期的な人事異動では一気に大量の人が動くことになるが、この大量の人たちが一定期間、チームに貢献できない状態で働くことになる。その結果、定期異動直後4月の生産性は、組織全体では相当下がっているはずである。

 

これだけの非効率が発生することは誰でも予想がつきそうだが、それではなぜ日本ではこのような定期異動という謎の慣習が未だに行われているのか。よくされる説明では、(1)人員の固定化による癒着防止、(2)ジョブローテーションによってゼネラリストを育成、(3)マンネリ化によるモチベーション低下の防止、の3つが挙げられるが、果たしてこれはどのぐらい妥当なのか。

 

まず(1)の癒着防止だが、公務員などの不正はこのような定期異動制度が定着している現代でも依然として存在しており、本当に効果があるかは疑問である。また、すべての業務でこのような癒着による不正のおそれがあるというわけではないはずだ。そうであれば、たとえば癒着が起きやすい業務を行っている部署だけに対象を絞るなどの方法を考えてもよさそうなものである。そもそも、不正防止のために定期的に異動をするというのは対策としては迂遠だ。もっと直接的な不正対策をしたほうがよい。

 

(2)については、そもそも定期的な異動でゼネラリストが育成できるのかという疑問がある。2〜3年ぐらいで新しい業務をつまみ食いしたところで、「幅広くなんでもできる人」になれるという保証はない。せいぜい、「なんでもちょっとは浅くできる」という人材が育成されるだけで、これは結局のところ「何もできない人」とそこまでの差はない。個人的には、広さというのは深さがあってこそのものだと思うので、この手の育成方針は時代にあっていないと思う。

 

(3)については、たしかにマンネリ化は防げるかもしれない。しかしモチベーション低下という意味で言うなら、それまで積み上げてきた能力などを放棄して、理由もなく他の仕事をしろと言われたほうがモチベーション低下を招くのではないか。自分なりにキャリアの一貫性が実感できるならいいのかもしれないが、定期的な人事異動ではとにかく動かすことが目的なので、個人の意志はあまり尊重されない。あるいは、どうせ数年で異動するんだから、今の仕事をそんなに真剣にやっても意味がない、という投げやりな気持ちを誘発する可能性もある。メリットよりもデメリットのほうが大きいだろう。

 

勘違いしてほしくないのは、僕は一切の人事異動がよくないと言っているわけではないということだ。必要があって人事異動をするのは別によいと思うし、そうやって組織のメンバーや自分の仕事に流動性が出ることはいいことだ。しかし、異動自体を目的化してしまうのはいただけない。世の中には「玉突き人事」などという言葉もあるが、そうやってパズルのピースを嵌めることだけを目的に異動させられる人の被害は甚大である。

 

日本人の生産性は低い低いとよく言われるが、こういうことを未だに改めずにやっているのだから、低いのは当然だ。まずはこういうわかりやすいところから改善すればいいのにと思う。

 

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

 

 

職場の近くに住んでみたら想像してたよりも何倍も人生がはかどった

こちらを読んで。

anond.hatelabo.jp

 

職住近接について、世の中にはいろんな意見がある。賛成派は、近くに住めば移動時間がなくてとてもいいと言う。一方で反対派は、近くに住むと逆に遅くまで会社に居残ることになって意味がない(「終電」というタイムリミットがなくなる)とか、生活圏に職場が含まれてしまうとプライベートとの切り分けができなくなって逆につらくなるとか、そういう意見を言う。

 

実は、最近まで僕はずっと職住近接には反対派だった。『定時帰宅』という本にも「あんまり近くに住みすぎるのもどうかと思う」という意見を書いた。ところが最近、ひょんなことから実際に職住近接的な働き方をすることになり、いざやってみたらこれが想像していたよりも悪くなかった。いや、正直に言うと、想像していたよりも何倍も何倍もよかった。

 

ちょっと前から友人の会社の手伝いを始めたのだが、その職場が僕の家から歩いて3分ぐらいの場所にある。冒頭で挙げたエントリのように「隣」というわけではないのだが、家を出て大きな道を横断するともう職場である。なので、仕事に行く日も朝は基本的に9:00ぐらいまでは布団の中にいても十分に間に合うし、定時に上がれば19:05ぐらいにはもう家に着いている。なので、平日でも頑張れば本の一冊ぐらいは読み切ることができる。毎日、筋トレをする時間もできた。何より電車に乗らないというだけで精神的な疲労感に驚くほど差が出る。

 

では、恐れていたデメリットはないのか。これについては、やり方次第ということになると思う。まず、生活圏に職場が含まれてしまって気が休まらない問題については、僕の場合、意図的に職場の方角を生活圏から外すことで対処している。つまり、プライベートではなるべく職場のある方角とは逆方向のコンビニやスーパーを利用するようにしている。あと、仮に会社のある方角に買い物などに行ったとしても、実はそんなに頻繁に職場の人と遭遇するわけではない。休日はそもそも会社は休み(のはず)で社員は来ていないはずだし、近くに住んでいる人同士でも、お互いに避け合おうという気持ちが働くのか、遭遇したことは数えるほどしかない。会ったとしても、「いやー、会ってしまいましたか」とか言いながら苦笑いしていれば切り抜けられる。

 

では、終電という概念がなくなることで事実上青天井に遅くまで会社に残されてしまう問題についてはどうか。これについては、正直、僕は問題の捉え方自体を間違っていたと思う。こういうことが頻繁に起こってしまうのは、そもそも職住近接が悪いのではなくて、単に働いている企業がブラックなだけなのである。仮に、職住近接することで毎日毎日遅くまで会社に残され、疲弊するようなところで働いているのだとしたら、まずすべきことは会社の近くに引っ越すことではなく転職することだ。そういう会社で働き続けるのは、会社の近くに住んでいようと遠くに住んでいようと、一様におすすめできない。

 

ある意味では、職住近接を積極的にしたいと思えるかどうかで、いま働いている企業がどれだけ自分にとっていい企業かどうかがわかるとも言える。「会社の近くに住む」ことを想像した時に、マイナス面ばかりが頭に浮かぶのであれば、その職場は自分にとってよい職場であるとは言えない。逆に、職住近接のメリットが享受できると考えるなら、そこまで悪い職場であるとは思えない。

 

職住近接のデメリットとして、通勤時間にやっていたルーチン(読書や勉強)ができなくなるということを挙げる人もいる。これはたしかに人によっては弱点だと思うが、たとえば代わりに必ず朝はカフェに行って1時間本を読むとか、そういった別のルーチンを組み込むことができればなんとかなる。ルーチンが組めるのは電車の中だけに限らない。

 

個人的には、通勤電車は空気が悪くかならず毎シーズン風邪を引くので、それを避けるためだけでも徒歩圏や自転車圏から通勤するのはありだと思う。職場から近すぎるのが嫌なら、徒歩15分圏とか徒歩20分圏でも十分QOLは上がる(むしろ、このぐらい離れていると通勤時間が運動になっていいかもしれない)。家賃が高くなってしまうということも少なくないかもしれないが、それを超えるだけのメリットがある場合は少なくない。機会がある人はぜひご検討を。