脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

勉強は「動機」に投資するのが一番確実

こちらの記事を読んで、感心したので。

 

高校も塾も行かずに合格! 京大3兄弟の秘密 | 世界キャリア家族の子育て戦略 | 東洋経済オンライン 

 

平日の昼間にふらっとカフェに行ったりすると、よくお母さんグループがお茶を飲んでいるのに遭遇することがある。会話の内容は概ね、子供の教育の話だ。「◯◯ちゃんが✕✕の教室に通いだしたらしい」とか「この間、塾の面談があって云々」とか、そういう話を延々としゃべっている。僕もついつい話の内容が気になってしまって、思わず聞き耳を立ててしまう。子供の教育をどうすればいいのかは、最適解がわからない非常に難しい問題だ。

 

子供の教育投資にお金を払った分だけの効果があるのかは、実はよくわからない。仮に子供が最終的に難関大学に進学したとして、それは果たして進学実績のよい中学校や高校に入ったからなのか、あるいは評判のいい塾や予備校に通ったからなのか、それとも実はそんなのはまったく関係なく、本人が頑張って勉強をしたからなのか、実際には誰にもわからない。本当は塾なんて全然行かせなくても、結果は変わらないのかもしれない。でも、子供の一生がかかっていると思うと、「じゃあとりあえず長男は一切塾なしでやってみようか」というわけにもいかない。しかたがないので、周囲に倣って自分の子供も塾に通わせてみたりする人が多い。

 

自身の経験を鑑みると、予備校の授業であるとか学校の授業が、学力向上に直結したという感じはしない。授業も役に立つことはあるだろうけど、勝負を決めるのはむしろ自宅や図書館の自習室での勉強だ。学力向上に対する時間的な貢献度はこちらのほうが圧倒的に高い。どんなに立派な授業を聞いたところで、自分で勉強しない限り学力は上がらない。予備校や進学校に通う意味があるとしたら、自分で勉強しようとする「きっかけ」になるぐらいだ。だから「きっかけ」だと感じられない人にとっては、お金をかけただけの効果は得られない。

 

その点、冒頭で挙げた記事で紹介されている塾のやり方は優れていると言える。この塾が提供するのは、まさに「きっかけ」そのものだからだ。あたりまえの話なのだけど、勉強ができるようになりたかったら、勉強そのものに興味を持つ以上の方法はない。あれこれ細かい受験テクニックを教える塾や予備校に通うより、確実で効率のよい方法だと思う。

 

この方法は、ある意味では「動機」に投資しているとも言えそうだ。勉強そのものにお金を使うのではなく、勉強の動機を抱くためにお金を使う。確かな動機さえ抱ければ、あとは特にお金をかけなくても自分で伸びていくことができる。動機が曖昧な状態で塾や予備校にひたすら通うのよりも、はるかに効率がいいと言える。

 

「動機」に投資するのが有効なのは、子供の教育だけに限った話ではない。自分自身が勉強するときも、似たようなことは言えそうだ。たとえば、英語を身につけたいと思ったら、いきなり英会話教室に大金を払って通ってはいけない。それよりも先に、自分が英語を勉強する動機を揺るぎないものにするためにお金を使うべきだ。たとえば、外国人の彼女をつくるというのはどうだろうか。英会話教室にお金を払うより、そのお金を外国人の彼女をつくるために使ったほうが、結果的に英語の習得可能性は増す気がする。

 

動機は必ずしもお金を払うことで手に入るものではないが、動機を得るために払うお金はケチらないほうがいい。動機に投資をしておけば、あとで何倍も得をすることになる。

 

ヤル気の科学 行動経済学が教える成功の秘訣

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大学受験は実際にはかなり有益で、偏差値は便利なツールにすぎない。

茂木健一郎さんがtwitterで吠えていた。

 

 

どうやら茂木さんは、ペーパーテスト重視の大学入試や、偏差値を計算して受験生の実力を測る現行の受験産業に非常に不満があるようだ。

 

僕はというと、現行のペーパーテスト重視の大学入試は入試のやり方として概ね妥当だと思うし、そのペーパーテストで高い点数を取るために行われる受験勉強という営みも、意義があるものだと思っている。

 

もちろん、ペーパーテストの結果が人間の価値を決めるなんてことは思っていないし、ペーパーテストで高い点数はとれるけど、他の部分で問題があってちょっとあまり関わりたくない、というタイプの人も何人かは知り合いにいる。ただ、「決められた期限までにペーパーテストで目標点数を取れるように自分を鍛える」という大学受験の課題設定は、後の人生でも使えるある程度普遍的な能力を滋養するのに適したよい課題設定だと思う。そういう意味で、現行のペーパーテスト重視の大学受験はかなり有益だ。

 

一言で言えば、大学受験というのは「プロジェクト」なのだと思う。期限があり、ゴールがある。ゴールを実現するためにスケジュールを立て、時にはスケジュールを立て直したりしながら、ゴールに近づいていく。目標達成の障害があれば、それを取り除く施策を考え、実行する。こういう「プロジェクト遂行」のやり方を学ぶために、ペーパーテスト重視の大学受験は最適だ。日本史の細かい年号などは受験が終わったら即効で記憶から消失するが、受験勉強を通して学んだ「プロジェクト遂行のやり方」は、大学での勉強や、卒業後の仕事などでも使うことができる。

 

これがペーパーテスト重視でない、たとえば人間力だとか、あるいはコミュニケーション力だとか、そういうファクターを重視するタイプの大学受験になってしまうと、プロジェクトを進めるという意味合いからだいぶ離れてしまう。人間力であるとかコミュニケーション力を測る方法は定かではないので入試のゴールがどこにあるのかよくわからなくなるし、現在の自分がそういった能力をどのぐらい持っているのかも測定できない。それらの能力を鍛える方法もわからないし、そもそも鍛えられるのかすら謎だ。就職活動のように、受験生がひたすらに迷走するという状況を生むだけではないだろうか。それは結局、大学受験を「プロジェクト」から「くじ引き」や「コネ」に退化させるだけに思える。

 

また、茂木さんは上記のツイートで偏差値を計算する予備校を諸悪の根源のように決めつけているが、各種予備校が出している「偏差値」は、別に人間の序列を表している数値なのではなくて、プロジェクトの達成度を測るための便利なツールにすぎない。仮に偏差値がなかったら、自分が今どのぐらいの位置にいるのかよくわからない(もっとも、あっても実際には目安ぐらいにしかならないんだけど)。この手の話になると「偏差値」はよく攻撃の対象になるが、目標達成度を数値化して判断するという姿勢自体は極めて真っ当で、「つぶれろ」とまで言われた各種予備校は正直いい迷惑なのではないかと思う。

 

もちろん、現行の受験制度に一切の問題がないとは僕は思わない。例えば、ペーパーテストで合否が決まることは一応は「公平」ということになっているが、家庭の資力で受けられる教育内容がかわり(予備校にも行けたり行けなかったり)、それで結果的に不公平になってしまっているという事実はたしかにある。ただ、それを改善するために必要なことは現在のペーパーテスト重視の入試をやめることではない。それをすれば、ますます入試の不公平感は増すのではないだろうか。

 

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