脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「ある企業がブラック企業かどうかは人それぞれ」という意見の危うさ

以前、ある企業がブラック企業かどうかの判断は、結局のところ人それぞれだという意見を聞いたことがある。

 

たとえば、激務で残業が非常に多い会社があったとする。この会社は、早く家に帰ってプライベートを充実させたい人にとってはブラック企業に見えるかもしれないが、仕事を通じて成長をしたいと思っている人にとっては「よい環境」であるためブラック企業ではない。「人それぞれ」論者はこういった理由で「ある企業を一方的にブラック企業だと決めつけてしまうのはいかがなものか」と懸念を表明する。

 

言いたいことはわからないでもない。おっしゃる通り、激務だがそのかわり仕事によって能力が飛躍的に身につくという会社は存在する。外資コンサルティングファームやスタートアップにそういった見返りを求めて就職する人はたくさんいるし、この手の会社をブラック企業だと言ってしまうのはたしかに違和感がある。

 

しかし一方で、「ブラック企業かどうかは結局のところ働く人の主観の問題だ」と言い切ってしまうのは危ういとも思う。この理屈は、実は圧倒的にブラック企業側に有利なものになっているからだ。実際、「周りの人はうちのことをよくブラックだとか言ってますけど、社員はみんな自ら進んで楽しく働いていますよ」といった趣旨の発言で自社を擁護する経営者は少なくない。このように「本人がそれでいいと言っているんだから周囲がとやかく言うな」という主張はカルト宗教などもよくするが、いくら本人が同意していても許されないものはある。

 

そもそも、この「同意」というものが曲者なのだ。現代日本では、基本的にどんな労働者も同意した上で働くことになっている。ある会社で働くかどうかを決めるのは本人の自由意志によるので、たとえば道行く人を無理やり拉致してきて会社で強制的に労働させるようなことはありえない。さらに、労働者には会社を辞める自由もある(とされている。一部では訴訟をちらつかせるなどして「辞めさせない」ブラック企業もあると言うがそれはいったん置いておく)。つまり、どんな企業でも従業員は自主的に同意して働いていると言えてしまうわけで、その事実だけで企業が免責されるのだとしたらブラック企業などは存在しないということになる。

 

実際には、ブラック企業で働くことの「同意」は心からの同意と言えないことがほとんどだ。カルト宗教的な手法で「洗脳されて」同意していたり、成長できると「騙されて」同意していたり、辞めたら訴えるぞと「脅されて」同意していたり、この会社を辞めたらもうほかに働ける場所がないからと「しかたなく」同意させられていたりーーいずれも、同意の裏には何らかのからくりがある。

 

やはりルールに従わない企業は従業員の主観にかかわらず、アウトだと考えるべきだろう。たとえば、違法残業などの法令違反はいくら従業員が「残業代はいりません、残業させてください!」と言っていても許すべきではない。そういうことを許せば正直に残業代を払っている企業は競争で不利になるし、残業代放棄の「同意を強制」する企業も相次ぐだろう。現代社会において企業は社会的存在であるから、社会のルールに従わない企業の存在は許されない。

 

個人的には、そろそろ「激務と引き換えにスキルアップ」という考え方も過去のものになっていいのではないかと思っている。何かの能力を身につけるために1日8時間、週40時間で足りないなんてことは果たしてあるのだろうか。このやり方でも、5年も働けば1万時間に達する。つまり、ホワイト企業に入ってもビジネススキルを高めることはできるはずで、そちらのほうが無理に自分を痛めつけて成長を志向するより、よほど健全なのではないかと思う。

 

まんがでゼロからわかる ブラック企業とのたたかい方

まんがでゼロからわかる ブラック企業とのたたかい方

 

 

ほとんどの会社員には、業務を効率化するインセンティブがない

こちらを読んで。

 

 

上のリンクはどうも話ができすぎているような気がするが、会社員の業務効率化については、課題が多い。

 

働き方改革」の文脈で、残業削減のために業務を効率化して早く帰ろうという主張を耳にすることがある。仕事が早く終わればそれだけ早く帰れるようになるのは自明に思えるので、一見、この主張はまっとうに思える。ところが、実際に社員として仕事をしている側の立場で考えてみると、必ずしもそういう単純な話にはならない。

 

まず「仕事が早く終わればそれだけ早く帰れるようになる」という前提が実際にはかなり疑わしい。たとえば、ある人が毎日残業しながら10時間かかってこなしていた仕事を、システムで自動化するなどの手段によって1時間で終わらせられるような業務効率化に成功したとする。それを成し遂げた人はきっと褒められることになるだろうが、ではそれによって以後は仕事を毎日1時間だけこなせば退社していい、とは絶対にならない。業務効率化によって生まれた空き時間で、また別の仕事を課されることになるだろう。むしろ「ちょっとできるやつ」だと思われて、大量に仕事が積まれて逆にもっと早く帰れなくなる可能性するある。仕事を早く終わらせられるようになったからといって、早く帰れるようになるという保証はどこにもないのだ。

 

では、せめて給料の額ぐらいは増えるのかというと、これも結構疑わしい。業務効率化を推し進めればさすがに査定はよくなるだろうから多少は増えるかもしれないが、貢献度に応じた額の給料が増えるというのは日本の職場ではまず考えられないだろう。単位時間あたりのアウトプットを10倍にする業務効率化を成し遂げても、給料が10倍になるわけではない。実際には2倍にもならない。ひどい場合は、査定があるころにはもうその貢献は忘れられており(いわゆる「期末効果」)ほとんど評価されなかったということだってよく起こる。業務改善を納得の行く形で評価に接続できている職場はほとんどない。

 

思うに、業務改善がそのまま自身の利益に直結するのは、会社員ではなくフリーランスだったりする。たとえば、請求書の発行業務であるとか確定申告であるとか、そういう作業を効率化したいと思っていないフリーランスはほとんどいないだろう。こういう本業に付帯する事務作業に限らず、本業自体も短い時間で同じ効果が上げられるようになるのなら、残った時間は遊びに回してもいいし、さらなる仕事に回してもいい。このように、自分のこなす仕事量自体に対する決定権を持っていれば、業務効率化はそのままその人の利益に直結する。

 

ところが、会社員の場合はこの「自分のこなす仕事量自体に対する決定権」を持っていない。それゆえ、仕事を「早く終わらせる」ことに対するインセンティブがない。だから実際によくあるのは、怒られない程度の速度で適度にダラダラと仕事をやって業務時間を使い尽くし、空気を読んで角が立たない時間に退社する、という行動になる。これでは生産性なんて絶対に上がるわけがない。これは会社員という雇用形態に内在する欠陥のようにも思える。

 

ではどうすればいいのか。ひとつは、会社員も本当に「自分の仕事が早く終わったら早く帰っていい」ようにするという道が考えられる。本来、裁量労働制などはこういう方向の改革と親和性が高いはずだった(実際には、残業代カットの良い理由づけに使われているだけだが)。これを実現するには、従来の時間による労働管理から結果による労働管理に移行する必要があるが、課題は多い。

 

もうひとつの方法は、業務効率化をある程度納得感のある形で評価できるフェアな評価制度を整備することだ。10倍の業務効率化を実現したら給料10倍とまではいかなくても、業務改善をした人がやる意味があると思える程度には報いてあげられる仕組みがほしい。これも、言うのは簡単だが実際にやるとなると相当難しい。

 

結局のところ、現時点で最強なのは「業務は効率化するが、それは隠しておく」ことになってしまっている。実際、僕の知人には毎日の仕事を1時間で終わらせてあとは仕事をするふりをしながら遊んでいるという人もいる。効率化のインセンティブがない以上、僕はそういう手段に走る人を非難する気持ちにはなれない。ただ、会社全体や社会全体で見た場合に、その損失の大きさには残念な気持ちになる。

 

すごい効率化

すごい効率化