脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

70歳以上まで「働きたい」のか「働くしかない」のか

今日の日経新聞朝刊の一面に、こんな記事が載っていた。

 


この調査の詳細については、以下のページで見ることができる。

 

 

調査対象は全国の18歳以上の男女で、働き方から政治への意見、夫婦の役割分担に対する考え方まで幅広く質問しており、結果はなかなか興味深い。たとえば、「1年前と比べて働く時間は?」という質問に対する回答は「変わらない」が56%、「長くなった」が23%、「短くなった」が19%となっており、世間で言うほど「働き方改革」による長時間労働抑制は進んでいない様子が伺える。

 

長時間労働の話についてはまた別の機会にふれるとして話を「70歳以上まで働く」ことに戻すと、「何歳まで働きますか?」という質問に対する回答は「70〜74歳」は14%、「75歳以上」は12%となっており、たしかに70歳以上まで働くと答えている人は全体の3割を占める。記事によると、回答を現在働いている人に限定した場合は37%、60歳代に限ると45%まで「70歳以上まで働く」と回答する人の割合は増えるという。企業の定年を65歳まで引き上げるという話が出て久しいが(現状では、実際に65歳定年制を制度として取っている企業は少なく、何らかの継続雇用制度によって65歳までの雇用を保証しているい状態)実際にはそれをさらに超えて働くことを想定している人が少なくないのがわかる。そう遠くない未来に、さらなる定年延長の制度が導入される可能性は高そうだ。

 

ところで、気になるのはこの調査の質問文言である。この調査では、「何歳まで働きますか?」という質問をしており、これは単に予定を問う問い方だ。別の問い方として、「何歳まで働きたいですか?」という希望を問う問い方も考えられる。この違いは小さくないように思う。70歳以上まで働くと答えた人のなかには、本当は70歳になったらもう働きたくないけど、老後の不安など諸々の理由によって働くしかない、だから自分は70歳以上まで働く、と回答した人がおそらく相当数含まれている。もしかしたら、ほとんどがそうかもしれない。記事には現在の年収額が少ない人ほど70歳以上まで働くと答えている人の割合が増えるとも書いてある。このことからも、「70歳以上まで働く」の実態は、70歳以上まで「働きたい」のではなく「働くしかない」というものである可能性が強い。

 

人生100年時代」という言葉をよく聞くようになった。長生きできること自体は悪いことではない。だが、長く生きるためには当然、それだけの長い生活を支えるためのお金が必要だ。もはや公的年金だけでは不十分なことが予想されるため、お金を得るためには働かなければならない。そんな年齢まで本当は働きたくなくても、働くしかない。『「70歳以上まで働く」3割に』という見出しの裏には、どことなくそういう悲壮感が漂っているように感じてしまう。

 

「生涯現役」という言葉は、普通は良い意味で使われる。たしかに、歳をとってもずっと元気で、自分のやりたいことをアクティブにこなしているシニアは幸せだと思う。できれば自分もそういうふうに歳を取りたい。しかし、それは単に「働き続ける」だけで実現できるようには思えない。「自分の働きたいように」働き続けることができなければ、幸せに生涯現役でいることはおそらくできない。仕事ならなんでもよいわけではないのだ。

 

老後の仕事をどうするか、それはキャリアの出口戦略と言ってもよいだろう。これについては、会社には頼れないと思ったほうがよい。どう老いるかはあくまで個人の問題であり、昔のように退職金で老後を後押ししてくれる会社はどんどん減っている。収入なども含めてどういう老い方をしたいかは、自分で追求するしかない。そういう意味で、「人生100年時代」は非常に難しい時代だと思う。

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

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「不公平」という思考は仕事が我慢大会になっているから出てくる

こちらの記事を読んで。

僕自身はタバコを吸わないし、仕事中に喫煙所に出入りする人を見て特に不公平だと思ったことはない。現在に至るまでいくつかの職場で仕事をしたが、休憩は各自の判断で勝手にとってよいというタイプの職場でしか働いたことがないのでこの手の話の実体験は無いのだが、友人の話なんかを聞いているとどうやらそういう思考を抱く人は少なからずいるらしい。

 

その人たちが仕事において同僚について「不公平」だと思ってしまうのは別にタバコ休憩だけではない。あの人だけ昼休みから帰ってくるのが遅くて不公平だとか、あの人だけいつも残業しないで早く帰って不公平だとか、あの人だけ有給休暇を全部消化していて不公平だとか、そういった「あの人だけXXXで不公平だ」という構文で不公平が表明されることはよくある。興味深いのは、この手の「不公平」という気持ちが発せられるのは、主に同僚という横の関係に対してであり、たとえば経営者と自分の待遇を比べて「不公平だ」という人はあまりいない。別に「経営者は従業員から搾取していい暮らしをしている」なんてステレオタイプ社会主義者めいたことを言うつもりはまったくないが、取扱いの差で言えば経営者と従業員のほうがはるかに大きいはずで、悪い経営者がいたらこういう状況を見てほくそ笑んでいるかもしれない。

 

こういった横の関係に対して「不公平だ」という不満を言う人の話を聞くと、中学生だった頃のことを思い出す。当時、○○君が校則で持ってきてはいけないものを持ってきていますとか、☓☓君が体育の時間の最初の運動をサボってましたとか、そういう告げ口を好んでしている同級生がいた。別に、○○君が校則で持ってきてはいけないものを学校に持ってきていたとしてもその彼が何か不利益を被ることはないし、☓☓君が体育の時間の最初の運動をサボったとしてもやはりその彼自身には何の影響もない。しかし、彼はきっとそういうのを見て「ずるい」と思ったのだろう。自分は校則をしっかり守っているのに○○君だけ「不公平」だ、自分はしっかり最初の運動をしているのに☓☓君だけ「不公平」だという思考法は、会社で同僚に対して「不公平」という感情を抱く人の思考法とほぼ一緒のように思える。「会社は学校じゃない」と昔誰かが言ってたような気がするが、こういう視点で見る限り会社も学校も違いはない。従いたくないルールを押し付けられて、みんなで嫌なことを時間になるまで我慢してやる場所であるという点において。

 

僕は正直、こういう怨嗟の言葉が渦巻いている職場は嫌な職場だと思う。できるならそういうところでは働きたくない。結局、こういうふうに誰かを「不公平だ」と思ってしまうのは、その仕事が自分にとって嫌なものであり、そういう嫌なものを自分は我慢してやっているのにあいつだけズルいという発想からきている。それは仕事が我慢大会になっているということであり、そういう仕事を長期的に続けてもたぶん明るい展望は開けない。

 

もし、「不公平だ」と思う同僚の行動ばかりに目が行ってしまうのだとしたら、問題があるのはきっと同僚ではなく仕事自体なのだと思われる。そういう環境で「不公平だ」という気持ちを撒き散らしても職場の雰囲気が悪くなるだけで抜本的な解決は望めない。それよりも、他人の気持ちが気にならなくなるぐらい主体的に取り組める仕事を探したほうが、幸せになれる確率は高いと思う。

 

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