脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

ブラック企業に入っても実力はつかない

以前、ものすごく技術力が低い開発会社と一緒に仕事をしたことがある。詳細な話は書くことができないのでぼかして書くが、その会社はコードの品質が低いことはもちろん、一切テストしていないものを「できた」と言い張って納品してきたり、危険な本番オペレーションを手順書も予行演習もなしに実行して障害を出しまくったりするなど、およそ褒められるところが見つからない会社だった。

 

あまりにもひどいので、どうしてこういう会社が未だに会社として存続できているのか疑問に思い、その会社のウェブサイトや求人情報などを興味本位で見てみた。まず驚いたのは、給与の低さだ。その会社は東京にある会社だったが、この給与では社員は東京ではまともに暮らせないだろう。思わずVokersなどの口コミも見てしまったが、入社後も低賃金はずっと続くようである。彼らの稼働状況を見る限り、彼らは休日や深夜もずっと働いてるように見えたので、労働時間はものすごく長そうだ。一言で言えば、その会社はブラック企業だったのである。

 

そういう会社にありがちなこととして、案の定、求人には「未経験者歓迎」と書いてある。それで色々と納得が行った。いま現場に出てきている人たちの大半は、おそらく未経験者なのだろう。それならひどいコードを書いたり、無茶なオペレーションをしたりしてしまうこともわからないではない。しかし、仕事には許容できる最低水準というものがある。このままでは仕事にならないので、とりあえず経験者をプロジェクトに何人か入れてもらって、まずは社内で品質保証をして欲しい旨をPM経由で伝えることになった。

 

先方は「わかりました」と答えたが、残念なことに、状況が改善されることはなかった。たしかにシニアっぽいメンバーが追加されはしたものの、そのシニアもスキル的には五十歩百歩で、やはり仕事上許容できる最低水準は下回っていた。その状況になって僕は、その会社にはそもそもシニアと呼べるレベルのエンジニアがひとりも在籍していないことを悟った。できるエンジニアはきっとみんな全員辞めてしまったのだろう(あるいは最初からそういう人は一人もいなかったのかもしれない)。こういう環境では、いま未経験で働いている彼らが今後成長してできるエンジニアになる未来もたぶん訪れない。

 

ブラック企業についての言説でたまに目にするものとして、ブラック企業は実力をつけるには悪くない環境だ」というものがある。ブラック企業はたしかに薄給かもしれないが、仕事はたくさんあるので、そういう状況に身を置けば嫌でも自分を短時間でパワーアップできる、若いうちの苦労は買ってでもするものだ、というのがこの言説の趣旨だと思うが、上述の経験から僕はこれはウソだと実感した。

 

ブラック企業にはたしかに仕事がたくさんあるかもしれないが、まともなやり方を教えてくれる人は一人もいないし、仮にいたとしてもそういう人はすぐに辞めて他の会社に行ってしまう。言い換えると、ブラック企業ではまともな指導は受けられないし、まともな業務経験を積むこともできない。そして、まともでない業務経験は、まともな会社ではほとんど活きることはない。つまり、ブラック企業で培った経験を他の会社で活かそうと思っても、そういう経験が活きるところは結局のところやはりブラック企業なので、ずっとブラックな働き方から抜けられないことになる。

 

思うに、まっとうに実力を伸ばそうと思ったら、やはり業務のゆとりはどうしても必要だ。ゆとりがなければ指導なんて受けられるわけがないし、ゆとりがない環境で覚えた技はどうしてもその場しのぎで、短絡的なものになる。まともでない環境には、残念ながら優秀な人は寄り付かない。だからまともな師を選ぶこともできない。当然ながら、心や身体を壊すリスクも尋常ではないので、あらゆる点でブラック企業で働くメリットはない。

 

「まずはブラックな環境でもいいからとりあえず我慢してまずは実力をつけよう」という考え方は、一部の職人的な世界ならともかく、会社員の場合はまったく妥当ではない。中にはブラック企業からキャリアをスタートして実力を上げながらホワイト企業にたどり着いたという人もいるかもしれないが、それを可能にしたのは間違っても「最初にブラック企業に入って実力をつけたから」ではないだろう。そういう優秀な人は、もっとまともな企業からキャリアをスタートさせたならばさらによい職業人生を歩めた可能性がある。そういう人が過去の苦労を語るのは、一種の認知的不協和でしかない。

 

これから会社を選ぼうとしている学生さんなどには、修行目的でブラック企業を選ぶようなことは避けてほしいと思う。修行は別にブラック企業でなくてもできる。苦労することと学習することはイコールではない。そこを勘違いしてはいけない。

 

ブラック企業に勤めております。 (集英社オレンジ文庫)

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「立場の違い」を「実力」だと勘違いしてしまうのはかっこわるい

先日、とある用事で外出した際に、早く着きすぎてしまったのでカフェで時間を潰していた。

 

そのカフェはオフィス街にあったので、客の多くはサラリーマンのようだった。ノートPCで仕事の資料を作っている人や(余談だが、これはコンプライアンス上望ましくないのでやめたほうがいいと思う)、同僚と雑談をしている人などに混じって、少し目立つ4人組がいた。入社5、6年目らしき会社員2名と、真新しいスーツを着た学生らしき人物が2名。漏れ聞こえてくる話の内容から察するに、先輩社員とインターン生ではないかと思われた。

 

先輩社員が会社のことについて話し、インターン生がそれを聞く。こういう光景は割とよく見るが、今回は少しだけ様子がおかしかった。2名いる先輩社員のうち熱弁をふるっているのは片方だけで、もう片方の社員は退屈そうにスマホをいじっている。インターン生2人は一見熱心に話を聞いているように見えるが、「そうなんですか」という合いの手にはどことなくぎこちなさがある。

 

しばらく話を盗み聞きしていると、なんとなくヘンな空気になっている理由がわかってきた。先輩社員がランチなどの時間を使ってインターン生相手に会社での生活を語ったりすることはどの会社でもよくやられていることだとは思うのだが、その時先輩社員がインターン生に語っていた話の内容は「会社の話」というよりほとんど「自分語り」だったのだ。「俺は〜」から始まる話が異様に多く、しかも他人にとってはすこぶるどうでもいい話で、はっきり言って友人には絶対にしたくないタイプだ。もう片方の先輩社員がずっとスマホをいじっているのは、そんな同僚の態度に飽々しているからだろう。しかしインターン生2人はそういう態度を取るわけにも行かず、熱心に話を聞く「振り」をするしかない。

 

僕はこの光景を見て、「いやったらしいなぁ」と思わずにはいられなかった。世の中には「逆らうことができない立場」というものがある。たとえば、部下は上司には逆らえない。飲食店の店員も客には逆らえない。この場合で言うと、インターン生は先輩社員には逆らえない。先輩社員の「自分語り」に対して、あからさまに興味がないという態度を取ることは許されず、どんなに話がつまらなくても「熱心に聞いている」振りをして「参考になりました」とお礼を述べなければならないのだ。絶対に殴り返してこない相手をせっせと殴る光景を見せつけられたような、そんな気持ちになった。

 

これと類似の事象は、たとえば飲み会の席で上司が部下に対して行う説教であるとか、飲食店の顧客が店員に対してつけるクレームであるとか、「立場の違い」が存在する至るところで発見できる。立場が上の者は、その立場の分だけ本来の実力よりも余分に力を持つことができる。そしてより一層罪深いように思えてしまうのは、こういった立場の違いによるバイアスの存在に無自覚で、それを自分の本当の実力だと勘違いしてしまっている人たちがいることだ。こういうのはものすごくみっともないし、かっこわるいと思う。

 

今回インターン生相手にずっと自分語りをしていた先輩社員も、同じことを同期との飲み会でやったらおそらく誰も真剣に相手をしてはくれないだろう。飲み会でいつも部下に説教をする上司も、家に帰って息子に同じことをしたら煙たがられるに違いない。立場の違いによって得た一時的な力を、自分の本当の実力だと勘違いするのはみっともないことだと思う。立場に差があるときこそ、謙虚さを忘れないでいたい。

 

謙虚な心

謙虚な心