脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「給与は前職を考慮して決める」という奇妙な習慣

Googleに入社した人が「どうやってGoogleに入社したのか」を記事にするというのが流行っているようで、最近そういうブログ記事をいくつか読んだ。

 

kumagi.hatenablog.com

 

この記事の中で、特に印象に残ったのが以下のくだり。 

 

当時の年収の653万という数字にいくらか積み増しをして

僕「うーん、コミコミで800万貰えれば…」
G「じゃあ1350万でどう?」
僕「謹んで入社させていただきたく存じます(土下座)」

というやりとりを経てGoogleに入社した。

 

これなら優秀な人は当然Google に転職するよね、と思わせる箇所である。「日系の大企業を辞めてGAFAに行く」という流れはたびたび話題になるが、給与面で日系企業が明らかに競り負けていることは間違いない。もちろん、負けている要素はそれだけではないと思うが、この部分を改善できない限り、今後も人材流出は続くだろう。少なくとも、やるべきことは以下の記事で言われているような『押しかけラグビー』なる謎の企画を実施することではない。

 

style.nikkei.com

 

ところで、転職の求人を見ていると、よく給与の欄に「前職の給与を考慮」と書いてある募集を見かける。実際、転職活動を続けていき、いざ内定が出て給与交渉に突入すると前職(あるいは現職)の年収を質問されることは多い。上のやり取りふうに書くなら

 

求職者「現在は653万円もらってます」

転職先「じゃあ700万円でどう?」

求職者「(うーん、本当は800万円ぐらい欲しいんだけどなぁ…)はあ、じゃあそれでお願いします」

 

みたいなのが、よくあるやり取りではないだろうか。

 

いや、この場合「よくある」というのはウソだ。このやり取りはかなりうまく行っているケースで(なぜなら、年収アップを勝ち取っている)、実際には現在の年収据え置きということは少なくないし、ベンチャーなどだと「うちはベンチャーだから」というよくわからない理由で現職の年収から1割程度削った額を提示されることだってある(それでいて、別にストックオプションがもらえるとかそういうこともない)。日本の転職者はこういう交渉にうんざりしているものの、パワープレイに負けていやいやながら従っているので、Googleのように「前職の給与を考慮していない」額を提示されれば、土下座して入社したくなるのも当然だ。

 

そもそも、給与交渉の際に「給与は前職を考慮して決める」というのは奇妙な話ではないだろうか。この方式で決めるとすれば、仮にまったく同じ能力を持っていたとしても前職の給料が低ければその人の年収は低くなるし、高ければ高くなる。これは、給与の決定を能力に基づいて行っていないという証拠でもある。これではなんのために面接で色々と職務経歴を聞いたり難しい質問をしたりして能力を見極めようとしているのかわからない。

 

実際に働いてもらうまでその人の本当のパフォーマンスはわからないので、いったんの仮の給与を相場に基づいて決めているのだ、という言い分はあるかもしれないが、そういうことを言う会社に限って実際に働き始めても給料は上がらない。これは結局、給料を決定するロジックを会社が持っていないので、前職の基準に相乗りしているというのが実情だろう。

 

(上の引用部分を見る限り)Googleではこのような方式では給与交渉は行われていない。彼らが少しでも値切ろうという思いをもっているなら、それこそこのケースなら「コミコミで800万」で決着してしまいそうなものだ。前職の給与を訊いてそれに基づいて給与交渉をしようとするのは、「うっかり払いすぎないようにしよう」という気持ちもあるはずで、求職者からすればたまったものではない。こういう気持ちは見透かされる。そして今日も優秀な人材は日系企業を見限ってGAFAに流れるのだ。

 

改善点は多々あれど、まずは堂々と給与の額を「能力に応じて決定」できるような会社が増えてほしいと思う。誰だって、自分の能力を評価してくれないところで働きたいとは思わない。優秀な人材を正当に報いるというのは、人材を惹き付けるための基本中の基本である。

 

 

「異動させること」自体を目的にした人事異動が日本の生産性を下げている

3月・4月は人事異動の季節である。

 

インターネット業界のような歴史の浅い企業で働いている人にはあまりなじみがないかもしれないが、日系の大企業や公務員などの場合、3月に内示が出されて4月に異動という形でごっそりと人が動くというところは多い。もしかしたら、これを読んでいる人の中にもそういった形の異動によって4月1日から新しい部署に異動するという人もいるかもしれない。

 

学校の入学式なども4月だし、新卒の社員が入社するのも多くの場合は4月である。そういうこともあって、日本人にとって「4月に一斉に異動」というのは見慣れた光景なのかもしれないが、よく考えてみるとこれはかなり非効率な慣習でもある。

 

まず、この慣習は「異動すること」自体が目的になってしてしまっている。本来、人の配置は理由があってするものだが、この手の定期的な人事異動は特に具体的な目的があるわけではなく、「○○さんはそろそろ3年同じ部署で働いたから異動」といったような年数だけに基づいて行われる。だから、チームに必要な人だって時間が経てば強制的に異動の対象になるし、逆に、特にチームへの貢献が期待できないような人が定期的な人事異動の波に乗って異動してくることがある。

 

もちろん、完全に乱数で異動先を決めているわけではない(と思いたい)ので、多少は部署のニーズや本人の希望なども考慮される余地はある。が、一気に大量の人を動かさなければならない以上、すべての人を満足させることは最初から無理だ。特に、個人の希望は蔑ろにされやすい。その結果、「特に理由があるわけではないが、4月からとりあえずあの部署に行ってくれ」と言われる人が大量に発生する。多くの場合、これは働く人のモチベーション低下を招く。

 

また、当然ながら新しい業務を始めるためには、キャッチアップの時間が必要だ。つまり、異動した人は最初のうちはなかなかチームに貢献できない。定期的な人事異動では一気に大量の人が動くことになるが、この大量の人たちが一定期間、チームに貢献できない状態で働くことになる。その結果、定期異動直後4月の生産性は、組織全体では相当下がっているはずである。

 

これだけの非効率が発生することは誰でも予想がつきそうだが、それではなぜ日本ではこのような定期異動という謎の慣習が未だに行われているのか。よくされる説明では、(1)人員の固定化による癒着防止、(2)ジョブローテーションによってゼネラリストを育成、(3)マンネリ化によるモチベーション低下の防止、の3つが挙げられるが、果たしてこれはどのぐらい妥当なのか。

 

まず(1)の癒着防止だが、公務員などの不正はこのような定期異動制度が定着している現代でも依然として存在しており、本当に効果があるかは疑問である。また、すべての業務でこのような癒着による不正のおそれがあるというわけではないはずだ。そうであれば、たとえば癒着が起きやすい業務を行っている部署だけに対象を絞るなどの方法を考えてもよさそうなものである。そもそも、不正防止のために定期的に異動をするというのは対策としては迂遠だ。もっと直接的な不正対策をしたほうがよい。

 

(2)については、そもそも定期的な異動でゼネラリストが育成できるのかという疑問がある。2〜3年ぐらいで新しい業務をつまみ食いしたところで、「幅広くなんでもできる人」になれるという保証はない。せいぜい、「なんでもちょっとは浅くできる」という人材が育成されるだけで、これは結局のところ「何もできない人」とそこまでの差はない。個人的には、広さというのは深さがあってこそのものだと思うので、この手の育成方針は時代にあっていないと思う。

 

(3)については、たしかにマンネリ化は防げるかもしれない。しかしモチベーション低下という意味で言うなら、それまで積み上げてきた能力などを放棄して、理由もなく他の仕事をしろと言われたほうがモチベーション低下を招くのではないか。自分なりにキャリアの一貫性が実感できるならいいのかもしれないが、定期的な人事異動ではとにかく動かすことが目的なので、個人の意志はあまり尊重されない。あるいは、どうせ数年で異動するんだから、今の仕事をそんなに真剣にやっても意味がない、という投げやりな気持ちを誘発する可能性もある。メリットよりもデメリットのほうが大きいだろう。

 

勘違いしてほしくないのは、僕は一切の人事異動がよくないと言っているわけではないということだ。必要があって人事異動をするのは別によいと思うし、そうやって組織のメンバーや自分の仕事に流動性が出ることはいいことだ。しかし、異動自体を目的化してしまうのはいただけない。世の中には「玉突き人事」などという言葉もあるが、そうやってパズルのピースを嵌めることだけを目的に異動させられる人の被害は甚大である。

 

日本人の生産性は低い低いとよく言われるが、こういうことを未だに改めずにやっているのだから、低いのは当然だ。まずはこういうわかりやすいところから改善すればいいのにと思う。

 

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの