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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

それでもやはり、働かない状態のほうが「自然」だと僕は思う

仕事観
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手厳しい批判をいただいた。

 

社畜ブログと社畜は結構似た者同士なんじゃないか
http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-456.html

 

正直、この記事に対してこのような批判が飛んでくるとは予想していなかったので少し驚いているのだが、確かに書き方が「働いている人」を攻撃しているように読めなくもないので、その点については申し訳ないとも思う反面、理由があって選んだ表現でもあるので、少し反論というか言い訳をしたい。

 

まず、前提として僕は働いている人を働かない人より劣っているとか、そんなことは全く思っていない。働きたい人や、仕事が好きな人は、仕事が嫌いな人に不利益が降りかからない範囲でどうぞご自由に、というのが僕の考え方だ。詳しくはこのへんを読んでほしい。

 

その上で、僕はやはり働かない状態のほうが、状態としては「自然」だと思っている。というのも、お金を稼がなければならないという問題が前提になかったとしたら、一体どれだけの人が自然に「仕事をしよう」という考え方にたどり着くのだろうか。誰かの監督下に入り、ルールを強制され、やりたくもないこともお金のためには耐えなければならない。こういう状態が人間にとって「自然」なのかというと、ちょっとそれは考えづらいと思う。「お金の心配はしなくていい、好きなことをしていいよ」と言われた時に人類全員がこぞって「仕事」をしようとするというのであれば働いているという状態も「自然」なのだろうけど、まぁそういうことはない以上、お金であるとか、あるいは狩猟採集社会であれば食べ物そのもののために、不自然であるけど「仕事」という営みをしていると考えても、そこまで荒唐無稽ではないんじゃないだろうか。

 

そして、もうひとつ大事なことは「自然」であるとか「不自然」であるということは、人間の価値の優劣を決めるものではないということだ。例えば、人間は「自然」には空を飛ばない。空を飛んでいる状態はむしろ「不自然」な状態だろう。しかし、では必死に飛行機で空を飛ぼうとしていたライト兄弟が不自然なことに挑戦していたからといって人間として価値が低いかというと、全然そんなことはないだろう。価値があるとかないという話と、行為や状態が自然であるとか不自然であるということとは、直ちに関連付けられるものではない。

 

もう一点、上のブログで問題とされている「人間的」という表現について、これは確かに誤解を招きかねないのだけど、僕はこの表現についてもニュートラルな表現として読んだし、そういう意味で僕は使った。もう一度引用しよう。

 

人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かないほうが良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だといえる。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。

 

ここでいう「人間的」という表現は、一つ前の文である「楽しいし、疲れないし、健康的だ」を受けて使われている。つまるところ、生理機能が害されない、負にならないという点において、「人間的」なのであり、別に働く人は人格が劣っているとか、そういうことではないのだと思う。実際、森先生は本の中で、「職業に貴賎はない」ということを書いてあるし、僕も本当にあらゆる意味でそう思っている。

 

僕は別に「働かないこと」を神聖視なんてしてないし、みんなに神聖視してほしいとも思ってない。ただ、「働きたくない」ということが言いづらい世の中は生きづらいと思う。それだけの話だ。