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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

日本の学校は軍隊か刑務所

仕事観
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日本の部活文化がブラック企業の温床に
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20131029/Allabout_20131029_8.html

 

この記事が言うように、日本の部活文化が直ちに「ブラック企業」に繋がるかは微妙なところだが、日本人の仕事観と学校教育は、おそらく無縁ではないだろう。

 

日本の旧態依然とした会社の特徴として、とにかく多様性を認めないというものがある。みんなが残業をしているのであれば、自分も残業をしなければいけない。みんなが有給をほとんど使わないで仕事をしているのであれば、自分も私用で有給を使うわけにはいかない。本来であれば人それぞれ価値観や考え方も違うわけだが、そういう事情は一切考慮されない。たとえ法律で認められている権利を主張したとしても、他人と違う行動を取ろうとする人は協調性がない、自分勝手な人間だとみなされてしまう。

 

こういう価値観が作られるようになった背景は色々あるとは思うのだけど、そのひとつに日本の学校教育、とりわけ小学校・中学校の教育があると考えてもたぶんそれほどおかしくはないと僕は思う。

 

本の学校、とりわけ小学校・中学校は、正直なところ教育機関よりも刑務所や軍隊に近い。一度登校したら下校の時間まで敷地の外に出ることは許されないし、先生の言うことには従わなければならない。軍隊同様、「命令は絶対」なのである。今もやっているのかどうかはちょっとわからないが、体育の時間の整列であるとか、運動会の入場行進であるとかは軍事教練そのものだ。これらが一体なんのために存在しているのか、昔から疑問で仕方がなかった。どうやら集団のルールを学ぶとか規律を学ぶとかそういうところに理由があるらしいが、そう言われても未だに納得できないものがある。

 

たしかに、現実社会でも「集団のルール」や「規律」は重要だ。自分勝手が許されない場面は当然ある。しかし、学校教育ではそういったことを強調するあまり、同じく現実社会で重要な「多様性尊重」が蔑ろにされてはいないだろうか。

 

例えば、部活動について。野球部のあり方として、「みんなで全国大会を目指そう」というのも当然あっていいが、一方で「楽しさを失わない範囲でゆるく野球をやりたい」という考え方もあってもいいのではないか。どちらがよいとか悪いとかいうことは基本的にはないはずである。しかし現実には、学校の部活動では後者の考え方は容認されにくい。「自分の好みに応じて選ぶ」道が、最初から閉ざされている。大学あたりでは体育会の野球部の他に、ゆるく野球をするサークルがいくつかあったりするが、中学校などでそのような部活の編成は認められてもいいと個人的には思う。

 

あるいは、学校行事も自由参加ではダメなのだろうか。運動が嫌いな人まで、運動会に付き合わされるのはどうも納得がいかない。文化祭や合唱コンクールにも、出たくない人は出ない自由があったっていいはずだ。仮に参加自由にすることで、誰も参加しなくなるような行事だったら最初からやらないほうがいい。人生の時間はもっと有意義に使うべきである。

 

バランスの問題なので、学校教育で「集団のルールを学ぶ」側面が全否定されるべきだとは思わない。ただ、「個人の好み」を尊重するようなことはもっとあってもいい。原則は、みんな自分の好きなことを、好きなようにやればいいのだ。それで立ち行かない範囲だけ、お互いに譲り合って妥協する。順序で言えば「個人の尊重」が先に来る。しかし日本の学校教育は、先に「集団のルール」が来てしまう。これはどうも自由主義的な考え方とは、マッチしない。

 

学校って何だろう―教育の社会学入門 (ちくま文庫)

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