先日、新聞を読んでいたらこんな特集記事が載っていた。
電子版を契約していない人は全部読めないと思うのだけど、要は職場のみんなで助け合いの意識を持ち、残業が突出している人がいたらその人の仕事をみんなで分かち合おう、という考え方をこの記事では「残業シェア」と呼んでいる。
効果が出ている(と少なくともこの記事には書いてある)職場もあることから、「残業シェア」は一見よさそうな施策にも見える。しかし、僕はこの考え方で残業が減るのは特定の条件を満たした一部の限られた職場だけだと思う。多くの職場では、むしろ「残業シェア」的な考え方は逆に残業を増やしかねない。
「残業シェア」の最大の問題は、「助け合い」の名の下に同調圧力の発生を肯定しかねない点にある。「多くの仕事を抱えている人の仕事を分かち合う」という考え方は、「自分の仕事が終わっても他人の仕事が終わらなければ帰るな」というつきあい残業に容易につながる。そもそも、単純な業務内容でない限り、他人の仕事はそう簡単には引き受けることができない。実際のところ、料理をシェアするように簡単にシェアできる仕事は、職場にどれだけあるのだろうか。
仮に「残業シェア」のような発想で簡単に仕事を分かち合えるなら、そもそも残業以前にタスクを配分する段階で適当な割当が行わなければおかしい。「残業シェア」でうまくいった職場は最初からマネージャーのタスク配分に問題があった職場というわけで、別に「助け合い」云々の話を持ちださなくても適切にマネージャーがタスクを振り直せば問題は解消したはずである。
以前サイボウズ式に書いた定時後の「何かお手伝いすることありますか?」は必要ないという記事の内容の繰り返しになるのだけど、職場で敷くべきルールは「残業になった人をみんなで助ける」ではなく「他の人が残業していても、自分の仕事が終わったらさっさと帰ってよい」のほうである。「残業シェア」的な発想で、自分の仕事が終わっても他の人の仕事が終わらなければ帰れないとするならば、まず自分の仕事を素早く終わらせようというインセンティブがなくなってしまう。そういう状況でダラダラと仕事をしても生産性が落ちるだけでいいことはない。人間はゴールがあるから頑張れる。「助け合い」の名の下に、その貴重なゴールを奪ってはならない。
元記事にあるような特定の人に残業が集中しているという問題が起こっているのであれば、それはそもそも仕事の配分を見直すべきだろう。「助け合いの意識」という美辞麗句は日本の職場ととても親和性が高いのでよさそうに見えるかもしれないが、実際には同調圧力に支配された働きづらい職場を生む危険を孕んでいる。
どうせ意識改革をするなら、いっそのこと「仕事が終わっていなくても、業務時間がすぎたら帰るのが当然」という考え方にシフトしていったほうが残業抑制という意味では何倍も効果があるだろう。そろそろ僕たちも「徹夜してでも間に合わせる」「残業してでも終わらせる」という考え方に代表される、「業務時間」を軽視する考え方から卒業していったほうがいいのではないだろうか。
残業の究極的かつ最終的な解決策は「たとえ仕事が終わってなくても定時で帰る」だと最近は考えている。業務時間はたとえるならテストの制限時間みたいなもので、決められた時間内で最大限頑張るしかないという考えにシフトしていったほうが健全な気がする。残業という選択肢は最初からないと思うべき。
— 日野瑛太郎 (@dennou_kurage) 2015, 11月 24

ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか (青春新書インテリジェンス)
- 作者: 熊谷徹
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 2015/08/04
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (2件) を見る