脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「やらされている」仕事と「やっている」仕事

労働関係の法律を読んだりすると、よく「使用者」とか「被用者」とかいう言葉が出てくる。平たく言えば前者は経営者のことで後者は従業員のことなのだが、この言葉の背景にあるのは「使う/使われる」という関係であり、これを言葉通りに解釈すると仕事とは経営者の命令で「やらされている」ものということになる。

 

たしかに、仕事には「やらされている」と考えないと自分の中でうまく折り合いがつけられない要素も少なくない。毎日毎日、満員電車に乗って同じ時間に出社するのも、付き合いたくないクライアントにも精一杯の笑顔を作って対応するのも、締切に間に合わせるために終電ギリギリまで会社に残って仕事をするのも、仕事がある種の「義務」を伴うものであり、本当はやりたくないけどやらないと給料がもらえないからだ、という理屈に誤りはない。

 

もっとも、このように仕事を徹底的に「やらされている」と見ることに違和感を覚える人もいるはずだ。給料がもらえなくなるのが嫌だから嫌なことも我慢してやるというのは、たとえばムチで叩かれるのが嫌だから働いているという奴隷の行動原理と等しい。果たして、仕事ってそこまでネガティブなものなのだろうか。仕事を通じてクライアントに感謝されれば嬉しいし、困難な仕事に挑戦することで自分の能力が高まれば自己肯定感も得られる。たとえ宝くじにあたっても、仕事は続けると公言している人もいる。そういう人たちにとって、仕事とは「やらされている」ものではなく能動的に「やっている」ものなのだと思われる。

 

ではこの「やらされている」という仕事感と、「やっている」という仕事感の、どちらが正しい仕事感なのだろうか。僕自身の考えは、ある意味ではどちらも正しいしとも言えるし、どちらも正しくないとも言えるというものだ。たぶん多くの人にとって「やらされている」仕事と「やっている」仕事は混在している。無数にある仕事の中から今の仕事を選んだという点で、その仕事を完全に「やらされている」とは言い切れないし、一方でどんなに仕事をポジティブにとらえていても、義務的要素が一切ない仕事というのは考えにくい。

 

では「やらされている」仕事と「やっている」仕事とでは、どちらのほうが関わっていて幸せになれるかと問われれば、ほとんどの人が「やっている」仕事だと答えるだろう。ここから、ひとつの方針が立てられる。仕事を通じて幸せになりたいのであれば、できるだけ「やらされている」仕事の割合を減らして「やっている」仕事の割合を増やしていくことだ。もちろん、仕事である以上、「やっている」仕事が100%になることはない。しかし、その割合を増やしていくことはできる。そういう努力を続けることが、キャリアを歩むということだとも言える。

 

「やっている」仕事の割合を増やす方法はいくつかある。まず誰でも思いつくのは、転職なり配置転換を申し出るなりして、仕事の内容自体を変えることだ。あるいは、仕事自体を変えなくても、意味付けを変えることで「やらされている」という気持ちが「やっている」という気持ちに変わることもある(こういう意味付けを変えることを、認知行動療法などの専門用語で「リフレーミング」というらしい)。もうひとつの道としては、とりあえず本業はそのままにして、自分が「やっている」と思える仕事を副業として始めるというものも考えられる。そうすれば、トータルで見るとやはり「やっている」仕事の割合が増えることになる。

 

「やらされている仕事」の割合を減らして、「やっている」仕事の割合を増やすことは、必ずしも会社を辞めて独立することとは一致しない。個人事業主や起業家は、100%「やっている」仕事に従事しているように思うかもしれないが、たとえば生きていくために気の進まない受託の仕事を行っている個人事業主や起業家は少なくない。あるいは、金のためと割り切って本当は勧めたくない商品やサービスのアフィリエイト記事を量産している人だって、考え方によってはこういうやりたくもない仕事を生活のために「やらされてる」と捉えることはできる。逆に、会社員という立場でもほとんどの仕事を「やっている」という気持ちで取り組んでいる人はいるだろう。就業形態は必ずしもその人が幸せかどうかを示さない。

 

この「やっている/やらされている」という仕事の捉え方は、たとえば「会社員/フリーランス・起業家」といった仕事の捉え方よりも、実は本質的なのではないかと最近思うようになった。こういう視点で自分のキャリアを捉え直してみると、自分の行くべき方向は案外すっきりと決まる。

 

最後に一点補足すると、世の中には「やっている」仕事と見せかけて実は「やらされている」仕事というものもあるので、それには注意が必要だ。これは要は「やりがい搾取」のことで、本にも買いたしこのブログにもたびたび書いているので繰り返さないが、本当に自分からある仕事を「やっている」と思っているのか、あるいは巧妙な誘導によって「やっている」と思わされているかの区別は重要だ。「やっている」という気持ちが本当に自分の中から来ているのか、外からそう思い込まされているだけなのかは、一度冷静に考えてみてほしい。くれぐれも、やりがいのために残業代を放棄するようなことはしないでいただきたい。

 

このエントリの内容は、実は國分功一郎先生の『中動態の世界』を読んでいて思いついたものだ。本書は哲学の本で仕事の本ではないのだが、とっても面白い本なのでぜひ読んでみてほしい。

 

オンラインサロンはすべて悪なのか?

社畜サロン騒動に巻き込まれた(脱社畜サロンと脱社畜ブログは無関係です参照)ことをきっかけに、オンラインサロンというサービスそのものについて考えてみることにした。

 

ネット上には、オンラインサロンについて批判的な意見が少なくない。たしかに、オンラインサロンは胡散臭いものも多い。「ネットで稼ぐ方法を教える」といった触れ込みのサロンは情報商材サブスクリプション化したものにしか見えないし、これからはオンラインサロンの時代で大学進学は不要だなんて意見は、さすがにポジショントークが過ぎるように思う。

 

 

こんな言説を真に受けて大学進学を辞めるような人はさすがにいないと思うが、こういった誰が聞いても「いい加減なこと言ってるなぁ」と感じられるサービスにたとえば月額3000円というそれなりの金を払う人たちがいるという事実はたしかに驚きであり、その驚きがある種の嘲笑になってネット上のオンラインサロンに対する冷たい空気が形成されているのだと思う。

 

しかし一方で、オンラインサロンはすべて悪なのかと言われると、必ずしもそういうことはないように思える。月額3000円(この価格はあくまでモデルケースで実際にはサロンによって違うのだろうけど、たぶんこのぐらいの価格帯が標準だと思うので、とりあえず3000円ということにして話を進める)を「ボッタクリ」と見るかどうかは、結局のところそのサービスが提供するものを受け手がどう捉えるかどうかだ。そもそも、月額3000円以上するサブスクリプション系のサービスは世の中に溢れており、スポーツジムの利用料や新聞の購読料を漫然と払っている人も少なくない以上、オンラインサロンだけが月額3000円という価格だけを取り上げて「ボッタクリ」だと言うのも不公平な気はする。

 

思うに、オンラインサロンの提供する価値は以下の3つに集約される。

  1. サロン主催者と直接(といってもオンラインだが)交流ができる
  2. 同じ嗜好を持ったサロンの他のメンバーと交流ができる
  3. サロン内でしか得られない情報を得ることができる

1はオンラインサロンが普及する前からあった話で、要はファンクラブだと思えばいい。サロン主催者の熱烈なファンなら、主催者と直接やり取りをすることに月額3000円以上の価値を見出すことはそれほど不思議なことではない。この点について、外野がアレコレ言うのはナンセンスである。本人が納得しており、そのことで誰かに迷惑をかけていないのであれば(ハマり過ぎて家庭崩壊を招いているなどのことがなければ)周囲は生暖かい目で見守っていればよいだろう。

 

2の提供する価値は、案外、バカにできないように思う。大学生ならともかく、社会人の場合、普通に生活しているとなかなか会社以外のコミュニティを持つことは難しい。しかし、会社の人間関係だけに交際範囲が限定されてしまうのは視野を狭めることになる。そういう人にとって、オンラインサロンの提供するコミュニティ機能が月額3000円以上の価値を生むことは十分考えられる。

 

3の価値について、オンラインサロンはよくこういった「秘密のノウハウを伝授する」という看板を掲げて集客を行う。そういう意味では、3こそがオンラインサロンの中心的価値のように感じられるが、僕の考えでは、実はこれが一番提供されているかあやしいものに思える。

 

これは単発の情報商材にも通じる話だが、仮に自分が「簡単にネットで毎月100万円稼げる秘密のノウハウ」のようなものを知っていたとして、それを他人に伝えたいと思うだろうか? そのノウハウが本当に再現性があって誰でも簡単に真似できるものだとしたら、それは確実に自分の商売敵を生み出すことになる。それならそういう危険を犯すよりも、自分でそのノウハウを使って月額100万円稼いだほうがよいだろう。結局のところ、ノウハウを有料で伝授するというのは、それを実際に使うよりもそうやって情報だけ売ったほうがお金になると思われているからに過ぎない。

 

以上、オンラインサロンについて3つの価値を挙げたが、個人的にアドバイスをするなら、「サロン内でしか得られない情報がある」「XXのノウハウを教える」といったような3の価値を前面に押し出しているサロンは、あやしい可能性が高いと思ったほうがよいだろう。逆に、たとえば主催者のファンで主催者と濃い交流がしたいとか、サロンの形成しているコミュニティ自体に興味があるというのであれば、サロンに入ることを強く否定する理由はない。そこで何が得られるのかは、あとはその人次第である。

 

このように、オンラインサロン自体は必ずしも悪とは言い切れないのだが、ただ一方で、オンラインサロンが安易なマネタイズ手法として選択されやすくなっているというのも事実である。一時期、コミットメントの高いファンを囲い込んで有料メルマガを発行するというマネタイズ手法が流行ったが(そして結果は死屍累々だったが)、サロンは確実にその系譜に連なっており、「メルマガより楽して儲かりそう」という理由だけで開設されているサロンもかなりあると思われる。

 

メルマガは毎週一定の分量を書かなければならないから大変だが、サロンならユーザーが勝手に盛り上がってくれるからメルマガより楽だ、という発想で開設されているオンラインサロンはたぶん多い。そして、残念ながらその認識は間違っている。参加者の大半が「お金を継続的に払い続ける価値がある」と感じられるコミュニティを運営・維持するにはメルマガを継続的に発行し続ける以上の労力が必要で、たぶんそれができる人はほんの一握りだ。最近になって、実際にオンラインサロンに所属している人のサロンに対する不満や愚痴をよく見かけるようになったのは、そういった「安易なマネタイズ手段」として開設されたサロンの実態が明らかになってきているからに違いない。

 

だから、オンラインサロンに入るなら、主催者がどのぐらいの覚悟でそのコミュニティを盛り上げようとしているのかを、よく見極めてから入ったほうがよい。中には、作ったはいいけどほとんど放置状態というサロンも多いと聞く。オンラインサロンの提供価値の1つはファンクラブのようなものだと書いたが、作っておいて適当に放置するというのは、要はファンを舐めてるということである。

 

ちなみに、個人的に、僕が現状で入ってもいいなと思えるサロンは特にない。同じ月額3000円なら、月に数冊本を買うほうを選びますね。

 

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

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