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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

未来人が現代日本の社畜を見たらどんな風に感じるだろうか

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歴史の教科書や資料集を読んでいると、現代の価値観ではおよそ理解できないようなことが載っていて不思議な気持ちになることがある。たとえば、平安貴族には入浴の習慣が無かったとか、武士が責任をとるために切腹をしたりとか、時代背景などの説明を聞けば多少は納得できるが、じゃあ現代に同じことをするかと言われれば「そんな、バカな」と思ってしまうようなことはたくさんある。

 

これは現代から過去を見たら、という話だが、僕たちが今こうやって生活をしている現代社会も、時間が経過すればいずれ過去となる。歴史の教科書にも載るだろう(未来にも、まだ文明が存在して歴史教育が行われていればだが)。こういうことを考えた時にいつも思うのは、現代日本の労働習慣、とりわけ社畜的な習慣は、未来人にとってどのように見えるのだろうか、ということだ。

 

歴史の教科書や資料集には、満員電車のイメージ図が載るような気がする。「ツウキンデンシャでカイシャへ運ばれる社畜の図」とかいうキャプションがつくかもしれない。また、いわゆる「社会人の常識」というやつも、おそらく未来人から見れば複雑怪奇なものに見えると思う。ちょうど、僕たちが武士道や教育勅語を読んでもあまりピンと来ないのと同じように、「社会人の常識」は謎のルールのように未来の人には感じられるのではないだろうか。

 

ポール・グレアムの『ハッカーと画家』に、似たような話が書いてある。

 

どの時代においても、本当に馬鹿げた考えが信じられていることがある。しかも、反対の考えを言おうものなら、厄介事に巻き込まれかねないほど強く人々に信じられていたりするんだ。

(中略)

将来の人々が馬鹿げたことだと思うことを私たちが信じているかもしれない。そう思うと、何やら心穏やかでなくなる。もし誰かが、未来からタイムマシンに乗って現代にやってきたとして、彼が口にしないように気をつけなければならないことって何だろうか。
(第3章「口にできないこと」 pp.39-40)

 

このように、現代の僕たちが普通に従っている習慣が、100%合理的で納得感のあるものだということはありえない。特に、日本の仕事に関する常識とか価値観は、現代の僕たちから見たって不合理極まりないものなので、未来人から見たら間違いなく「ヘンテコな習慣」として認定されることになるだろう。

 

僕は、未来には機械化が進んで、「労働」はしたい人だけがする趣味的な位置づけになっていれば嬉しいと思っている。そのための手段がベーシック・インカムなのかあるいは全然違う方法なのかは分からないが、「生きるためには働かなければならない」というのは必ずしも普遍の真理には思えないし、思いたくない。「昔は働きたくない人まで、働くことを強制されていたんだって」「へぇ、そんな時代に生まれなくてよかったなぁ」という会話をみんながしているような、そんな未来がいずれ来てもいいのではないだろうか。

 

もっとも、100年後も今と同じように満員電車に乗って会社に行く生活が続いている可能性だってある。もしそうだとしたら、人類の未来は暗いと言わざるを得ない。