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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「自分を捨てる」研修と「理不尽」について

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以下の記事を読んだ。

 

駅前で自己紹介、人前でゴリラのモノマネ… 「自分を捨てる」研修に出たくない!
http://www.j-cast.com/kaisha/2013/06/10176933.html

 

おそろしい。研修内容もおそろしいが、それ以上におそろしいのは、こういった研修に出たくないという質問者を、「甘え」とか「辞めたほうがいい」といって罵倒している回答者が存在することだ。こんな頭のおかしい研修が、なんで肯定されているのか理解に苦しむ。

 

こういう研修を肯定する人たちは、「仕事に理不尽はつきものだ」「このぐらいの理不尽に耐えられないようでは、仕事の理不尽には耐えられない」というようなことをよく言う。僕はこのような考え方は、根本的なところで大きな間違いを犯していると思っている。

 

間違いだと思うのは「理不尽は耐えなければならない」という認識のことだ。理不尽が横行している組織にいると、いつしか「理不尽とは耐え忍ぶもの」という認識が出来上がる。特に、従来日本型の会社では顕著だと思うのだけど、これは実はだいぶ目線が低い話だと思う。理不尽とは、本来耐え忍ぶものではなく対処すべきものだからだ。

 

仮に仕事を通じて何らかの理不尽に遭遇してしまったとしたら、その時にすべきは耐えることではない。理不尽に耐えるということは理不尽に屈服するということであり、理不尽の存在を全面的に認めることに等しい。一度理不尽の存在を認めてしまったら、理不尽は何度もあなたやあなたの同僚を襲うことになる。理不尽に対処することなくただ耐えるだけで、「これが働くということだ」とドヤ顔で言われても、それはあまり感心できることではない。

 

これと同様に、「理不尽に耐えることで成長できた」という考え方も感心できない。「理不尽に対処して、理不尽を解消することで成長できた」というなら素晴らしいことだとは思うが、理不尽に耐えて成長しても、理不尽の存在を認めている時点であんまり褒められたものではない。

 

もちろん、現実的には対処できる理不尽ばかりではないだろう。理不尽に対処するにはそれなりにエネルギーがいるので、全員に立ち向かえとかそういうことを言うつもりはない。でも、対処できないからといって、じゃあ耐えなければいけませんというのはおかしい。理不尽に対処するだけのエネルギーが無かったら、とりあえずその時は逃げればいいと思う。それは甘えでもなんでもない。

 

「責任」とかそういう言葉を持ちだして理不尽に耐えることを強要してくる人がいるけど、そもそも理不尽に耐えることは仕事の責任の範囲外だ。逃げたからといって別に責任感がないとか、仕事を放っぽりだしたとか言われて批難されるようないわれはない。悪いのは逃げた人ではなく理不尽そのものである。

 

理不尽は、耐えるものではない。まずは対処を試みて、それが難しいなら逃げ出そう。とりあえず、僕なら冒頭で引用した研修は、間違いなく欠席する。

 

理不尽のみかた 1 (花とゆめCOMICS)

理不尽のみかた 1 (花とゆめCOMICS)