僕は今でこそ「意識高い系」の学生は苦手であるが、告白すると自分も「意識高い系」っぽい考え方をしていた時期がある。といっても僕が発症していたのは大学生の時ではなくて、高校生ぐらいの時だ。自己啓発的な本やビジネス本などを読み漁って、成長しようと思ったりしていたことが本当に一時期だけどあった。この前、実家に帰ったらそういう本が本棚にまだ置いてあるのを発見して、布団に顔をうずめて足をバタバタしたくなったりした。即ブックオフに持って行って処分してもらったことは言うまでもない。
人材コンサルタントの常見陽平さんが書いた『「意識高い系」という病』という本があるが、この本でも著者はかつて自分が意識高い系であったことを告白している。「意識高い系」に批判的な人は、自らもかつては意識高い系だったという過去を持つという場合がおそらく少なくはない。
意識高い系という病気には、形や時期は差があるものの、誰もが罹るものなんじゃないかと最近は思っている。大人になってから昔の自分のことを振り返って、「なんで昔はあんなふうに考えていたんだろうなぁ」と思ったりした経験は、割と誰でもあるのではないだろうか。過去の自分は他人のようなものである。当然、今の自分には理解できないような行動もとる。

「意識高い系」という病~ソーシャル時代にはびこるバカヤロー (ベスト新書)
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そして、この「意識高い系」という病気は、おたふく風邪に似ているような気がする。おたふく風邪は、大人になってから罹ると重症化すると言われているが、意識高い系という病気も、大学生になってからとか、あるいは会社に入ってから罹ったりすると非常に残念な感じになる。一方で、中学生とか高校生とかで罹っても、それはいわゆる中二病の延長のようなものに過ぎず、あとで思い出して恥ずかしくなってしまうことはあったとしても、後の人生に禍根を残したりはしないだろう。
大学生であっても、1年生とか2年生といった、早い段階で罹患して、3年生ぐらいで正気に戻るとそんなにこじらせなくて済む。逆に、就活の時期ぐらいに合わせて意識が高くなると、かなりやばい状況になる。大学生活中に「意識高い系」という病気に罹るなら、なるべく早いほうがよい。
僕が通っていた東京大学には進学振り分けという制度があって、とりあえず二年生までは駒場キャンパスというところで一般教養の勉強をする。その後、専門課程に進学し、今度は本郷キャンパスで勉強をする。駒場(1、2年)で意識高い系という病気に罹った人も、本郷(3年以降)で正気に戻るということが結構ある。一方で、本郷に来てから意識高い系が発症すると、基本的には治る機会がないので大変である。学生主導の就活支援団体なんかが本郷にはいくつかあったが、大体はこの系列だと僕は思っている。
もちろん、前回書いたように、「意識高い系」もその大言壮語に見合うだけの実績をあげれば、それはもはや「意識高い系」ではなくなる。中学生や高校生に比べて、大学生とか会社員のような大人のほうが、やれることは格段に多い(お金も稼げる)。それゆえ、「大人の意識高い系」がいけない、と一概に言えるわけではない。ただ、努力の方向は間違えないでほしいと思う。