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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「厳しくしてもらったおかげで成長できた」は本当か

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こんな話を聞いたことがある。

 

ある新卒社員Aが、研修を終えて現場配属を受けた。その現場は和やかとは程遠い常に張り詰めた空気が漂う現場で、事あるごとに厳しい言葉が飛んでくる。特に、職場のルールや仕事のやり方を知らない新卒社員は格好のターゲットであり、理不尽なことも含めてあれやこれやと、厳しい指導が日夜なされていた。

 

はじめは怒られてばかりで辛い日々を過ごしていたAも、半年ぐらい経つと仕事を覚えて、怒られることも少なくなった。Aの配属から一年経過したある日、また次の年の新卒が配属されてきた。Aは、その新卒の指導係になることを命じられる。Aは、自分が仕事を覚えることができたのは部署の先輩たちが自分に厳しい指導をしてもらったおかげであると考えて今まで自分が受けてきたのと同じような、厳しい指導を後輩に対して行った。後輩が立派に独り立ちするためには、自分がされたのと同じように厳しく指導することが必要だ、という強い信念をAが支配していたからだ。

 

以上は、どこにでもありそうな話だが、僕はひとつAの考え方に重大な欠陥があると思っている。「厳しくしてもらったおかげで成長できた」というのは、果たして本当なのだろうか。

 

厳しくされようがされなかろうが、半年から一年ぐらいやっていれば、業務にも普通はだいぶ慣れてくる。慣れれば当然業務の処理速度も早くなるし、ミスも少なくなる。この場合、(Aの考えている)成長というのは、厳しい指導の賜物というよりかは単なる慣れに過ぎない可能性が高い。この因果関係を取り違えて、後輩に対しても自分がされたのと同じような、厳しく、そして多分に理不尽なことを含んでいる指導を繰り返そうとするのは、あまり感心できることではない。

 

「仕事が覚えられるようになるためには、厳しくする必要がある」という考え方は、新入社員教育をまるで動物のしつけであるかのように捉えている点で、大間違いだ。人間は動物とは違う。能力を伸ばすために、必ずしもスパルタである必要はない。

 

最近は、この考え方にいわゆる「ゆとり」という世代に対するレッテル貼りまでミックスされて、「最近の若い者は厳しさを知らない、とにかく厳しくして、社会人のルールを叩きこめ」という典型的な若者バッシングに発展することもある。こういう思想を持った人たちが、新入社員を自衛隊に送り込んだりする。いい迷惑だ。

 

「厳しいこと」それ自体に価値はない。内容が同じだったら、厳しくないほうがいいに決まっている。厳しくされるのが好きだという性癖ならしょうがないが、後輩も自分と同じような性癖の持ち主と決めつけてはいけない。「相手のためを思って、心を鬼にして厳しく鍛えよう」と考えている人がいたとしたら、もう一度思い直してほしいところである。

 

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