脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

コピー取りやオフィス掃除みたいな「下積み」っていつ役に立つの?

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以下の記事を読んで。

 

ホリエモンが指摘する「下積み原理主義」に大変共感する件: ihayato.書店
http://www.ikedahayato.com/20131218/1652188.html

 

「下積み原理主義」とは非常に上手い。仰るとおり、日本社会では「下積み」が必要以上に強調されすぎている。新卒で入社した若者に対する「まずは3年…」という定番の説教にはじまって、とにかく若いうちは修行に徹しろ、というアドバイスは非常に多い。

 

勘違いされそうなので念のために言っておくと、僕は下積みを全否定しているわけではない。会社員をすることでしか、得られない経験は当然あるだろう。そういう経験を積まないと自分がやりたいことができないと思うのだったら、自信がつくまで思う存分、下積みをすればいいと思う(ただし、下積みをしてたら人生が終わってしまった、とかいうことにだけはならないように)。

 

基本的に、この問題は目的を成し遂げるために必要な能力をどうやって身につけるかという話でしかない。「いつかは自分のビジネスをしたい」と思っている人が、会社員をしつつ「会社」という仕組みを学ぶというのもひとつのやり方だし、いきなり起業して色々と試行錯誤しながら学んでいくというのだって悪くないだろう。会社に入って下積みしたほうがいいかどうかは、結局ケースバイケースで、もっと言うと個人の性格とかにもよる部分が大きい。「下積み原理主義」に違和感があるのは、そういう個別具体的な事情を無視して「まずは会社員をして下積みをすべき」と下積みを活躍の必要条件として押し付けてくる点にある。

 

ところで、企業で行われる下積みには、2つの側面があると僕は考えている。1つは下積みという言葉が示すように、「修行」の側面だ。将来、もっと大きな仕事ができるようになるために、色々と実務を通じて学んでいく。こういう下積みは、独立後などでも役に立つ場合が少なくない。

 

もう1つが、「順番待ち」の側面だ。年功序列型の組織なんかだと、若い人にはどんなに能力があっても重要な仕事を任せることはできない。だからとりあえず「下積み」と称してコピー取りとかオフィス掃除とか、誰も見ない議事録を書く係とか飲み会の幹事のような、業務経験としてはなんとも微妙な仕事をたくさんすることになる。こういう下積み(という名の雑用)をしながら、自分の順番が来るのをひたすら待たされる。

 

後者の「順番待ち」的な下積みは、はっきりあまり言って意味がない。コピー取りとオフィスの掃除を3年し続けても、自分のビジネスができるようにならないということは説明しなくてもお分かりいただけるはずだ。「順番待ち」的な下積みが役に立つ日はたぶん永久に来ない。

 

結局、下積みにも役に立つものと役に立たないものがある。自分が今やっている下積みが、果たして本当に自分の目的に資するものなのかという点については、定期的に見直したほうがいいだろう。いわゆる「順番待ち」的なものがほとんどで、将来役に立ちそうもないと思うのだったら、適当なところで切り上げてあまり入れ込まないようにしたほうが懸命だ。そうしないと、人生の貴重な時間を失うことになる。

 

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。
 

 →「はじめに」(p1-6)を読むことができます。