このブログは、働くことや仕事をすることを絶対視しないというスタンスだが、これについて、以前ご意見をいただいたことがある。それは「生きている以上は、働いて社会貢献をするのが当然だ」というものだ。
この意見には、「働くこと=社会貢献」であるという前提がある。ニートや生活保護受給者を蔑んでいる人の根底にあるのも、この「働くこと=社会貢献」という思想ではないかと思う。今日は、この「働くこと=社会貢献」が本当か、ということについて考えてみたい。
これは、ある意味では本当である。どんな企業でどんな仕事をしていたとしても、働いて、給料をもらうようになれば、その分税金や年金を収めることになる。また、企業は得た利益の一部を法人税として国や地方自治体に払っている。そういう意味では、どんな職種であったとして、一切社会貢献になっていないということはない。働いて給料をもらえば、社会に貢献する側面があるというのは間違ってはいない。
ただし、それゆえ「働くことは尊く、働けば社会のためになる」と考えるのはさすがに短絡的だと思う。なぜなら、働くことが社会にとってマイナスになるというケースもありうるからだ。たとえば、消費者金融はつい数年前まではグレーゾーン金利であくどい商売をして儲けていたが、これによって自殺に追い込まれたり、ホームレスにならざるをえなかったという人がたくさんいた。消費者金融のような極端な例でなくても、企業が利潤を追い求めるあまりに、従業員を過労死やうつ病に追い込んだりするという現象はたくさんの企業で起こっている。企業活動が、社会にとってマイナスになるということは普通にありうるということだ。
この企業活動の社会に対するプラス面と、マイナス面を両方考えると、働くことがトータルとして社会にとってマイナスとなるケースも当然あるはずだ。トータルで見ると、「働くこと=社会貢献」となっているかどうかは人や業界・職種によるはずであり、結局、働くことと社会貢献の関連性はそれほど高くないと考えるのが自然なはずである。
企業のCSR活動が偽善に溢れているのを見ればわかるが、やはり、企業はあくまで利益追求のための組織であり、働くことの本質は社会貢献ではなく労働を対価として給料をもらうことと考えたほうが無理がない。また、仕事の社会貢献性を強調しすぎると、責任感からの働き過ぎを招く結果にもなりかねない。
社会貢献が究極の目的なのであれば、仕事を介さないで直接社会に対して活動をしたほうがよいだろう。ボランティアに参加するとか、NPOで活動をするとか、そういうことをやってはじめて「社会貢献をしている」と胸を張って言えるのではないだろうか。企業で働いて税金を納めている程度で、「俺は社会に参加している。働いてない奴は社会に参加していないクズ」と働いていない人を蔑んだりするのはいかがなものかと僕は思う。

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