脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

ネットの揉め事のほとんどは片方がスルーすればそれで終わる

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なんとなくネットを巡回していたら以下の記事を見つけた。

 

揉め事は外からウォッチャーとして見ると面白いが、当事者はたまったものではない - 感謝のプログラミング 10000時間

 

最近はそんなに熱心にはてブを見たりしていないので、はてなで揉め事があったと聞いてもあまりピンと来ないのだけど、別にこの件にかぎらずネットで揉め事っぽいやりとりをしている人はよく見かける。

 

僕も元記事の浅井さん同様、揉め事には基本的に巻き込まれたくない。第一に、揉め事は疲れる。時間とエネルギーを失う。時には信用も失う。わざと揉め事を起こすことでPVを稼ぐいわゆる「炎上商法」という手口があるが、はっきり言って割に合う話ではないと思う。ネットは話題の消費スピードが異常に早いので、意図的に燃やしたところですぐ火は消える。あるいは、そのうち他所でもっと大きな火事が起こってそちらに人が移動してしまう。

 

ネットで揉め事に巻き込まれたくないなら、一番確実な方法がある。ネット上に何も書かないことだ。ブログに限らず、twitterや他人のブログのコメント欄、あるいはブコメまで含めて何もネット上に投稿しなければ、揉め事の当事者になることはありえない。

 

もっとも、この方法はネットで情報発信をする楽しさまで奪うので、誰もが採用できるものではない。少なくとも、僕はここまで厳格な運用はできない。せめてブログぐらいは、更新し続けたいとは思う。だから、次善の策を考える必要がある。

 

ネットの揉め事を振り返ってみると、そのほとんどは当事者同士の応酬が重なるにつれて、どんどん大きくなっていっていることがわかる。逆に、片方が喧嘩を売ってきても、応酬しない限りは話はまず広がらない。このことから、あたりまえの事実が浮かび上がる。ネットの揉め事のほとんどは、当事者の片方がスルーすれば、それで大きくならずに終わるのだ。

 

「スルーが大事だ」という話自体はインターネット黎明期からある。掲示板を荒らす者への対策で一番効果的なのは、「無視」ではなかっただろうか。Web1.0時代、とある個人サイトがトップページに「現在、荒らしと徹底抗戦中です…!支援お願いします!!」とMARQUEEタグを使って表示しているのを見たことがあるが、こういうことをすると彼らは喜び、荒らしはさらに加速する。今も、基本的な構造は変わらない。相手の言ってることが明らかに妥当性を欠き、反論したいと思っても、そのままスルーしてしまったほうが結果的に面倒事は早く収まる。

 

ちなみに、「無視」や「スルー」をキメる場合には、無言で粛々と行うことが割と大事だと思っている。たまに、twitterとかで「なんなんだこの人……ブロックしよう」とか宣言しながらブロックしてる人を見かけるが、それはある意味ではスルーできていない。そういう人は、なんだかんだ言って定期的に小競り合いに巻き込まれているように思う。

 

ちなみに、ネガティブな言及に限らず「スルー」をすることは、燃え尽きを防ぐことにも繋がり、個人的には積極的におすすめしたい。twitterで言及されたら必ず返さなきゃとか、ブログのコメント欄には全部レスしようとか、そういうのも楽しんでやれてるうちはいいのだけど、なんだか疲れたなぁと思い始めたらやめてしまっても別に批難されるようなものではないと思う。

 

何はともあれ、平和に生きたいものだ。

 

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